昭和名レーサー列伝:中道善博(上)

2012年06月27日 14時00分

【黒明良光が選んだ昭和名レーサー列伝】中道善博(上)

 私が中道と初めて出会ったのは、1966年、ボート選手になるために訓練所に行った時。第一印象は「まるで子供みたい」でした。自分も高校を卒業したばかりで、言えた義理ではないんですが、彼は高校を中退しており、年も1つ下の17歳。訓練生は年も幅広く、上は25歳の人もいたから、その若さは際立っていました。でも年が近いこともあって、すぐに仲良くなりました。

 訓練中は旋回技術がうまかったのが強く印象に残っています。ただ、弟みたいな感じだったし、私も生来の負けず嫌いで、「本番(プロになったら)では負けないぞ」と思ってましたけどね。

 デビューしてからは、同期の中で中道が一番出世が早かったです。優勝(67年に初優勝)したのも、記念(68年鳴門周年)に行きだしたのも、私よりも先でした。でも当時は、今よりも決定的に情報が少なかったので、そのことは後から知りました。半年に一度の期別の成績や、3年ごとに本栖湖で行われる再訓練での情報交換ぐらいです。ただ一つ覚えているのは、中道が走った浜名湖周年の結果を知った時の驚きです。あの男が6着を並べているのを見て、記念のすごさ、怖さを認識しました。

 一緒に走った中で最初に記憶に残っているのが、75年の鳴門周年です。この年の2月の児島・中国地区選で、私は記念初優勝をしたのですが、同時期に中道も鳴門の四国地区選で記念初V。2人とも勢いがあったのでしょう。鳴門でも優勝戦まで行って直接対決。私が6コースから一気にまくって優勝しました。

 レース後「俺も取っていない地元の周年を取られた」って、中道はえらく悔しがってましたね。ただ本音を言うと、中道に勝てたことよりも、彦さん(彦坂郁雄)を破ったことがうれしかった。当時の彦さんは無敵で、ほとんどの選手が「打倒!彦坂」でしたから。勝つには勝ちましたが、1Mでケリをつけたつもりだったんですけど、2Mではすぐ後ろにいて、そのすごさにゾッとしたものです。

 その後、中道とはSGや記念の優勝戦で数多く対決しましたが、それは次回に。

☆なかみち・よしひろ=1949年10月3日、徳島生まれ。66年丸亀一般戦でデビュー。デビュー節で初勝利。初優勝は10か月後の67年児島一般戦。GⅠ初優勝は75年鳴門・四国地区選手権。SGは79年住之江笹川賞が初V。通算優勝80回(GⅠ30回、SG8回)。新艇王の異名も。通称「ゼンパク」。2000年に引退。現在は解説者、評論家として活躍中。