「自殺」青木騎手の苦悩

2012年12月28日 10時00分

 JRAの青木芳之騎手(35)が神奈川県横浜市の自宅で死亡していたことが26日分かり、競馬界に衝撃が走った。自殺と見られる。青木騎手は1995年3月に美浦・藤沢和厩舎からデビュー。将来を嘱望されたがその後、騎乗回数に恵まれず、今年最後の騎乗は4月15日の阪神12R。現役続行か、調教助手転向かで揺れ動いていたという。

 青木騎手死去の一報を受けた27日朝の美浦トレセンは重いムードに包まれた。

 誰もが多くを語らない中、師匠の藤沢和調教師は厳しい表情で「よく分からないんだ。昨日聞いたんだけど、細かいことは分からない」。

 某調教師も「びっくりした。デビューした頃は期待されててけっこう乗ってもらったんだけど、その後は恵まれなかったようだね。海外で武者修行もしていたようだけど…」と突然の訃報に言葉を選ぶようだった。

 電話に出ないことを不審に思った青木騎手の父親が25日に横浜市の青木騎手の自宅を訪ね、死んでいるのが見つかった。自殺と見られ、青木騎手は現役続行か、調教助手に転向するかで悩んでいたという。

 2012年だけで引退したJRA騎手は21人いる。その理由はさまざまだが、ある関係者は現在の競馬界のこんな側面を指摘する。
「今は中堅以下の騎手が騎乗機会を確保するのは難しい。外国人騎手の短期免許取得による日本参戦や、地方出身騎手、腕自慢のトップジョッキーに騎乗依頼が殺到するのは当たり前のことで、中堅以下には出番はなかなか回ってこない」

 これが青木騎手の自殺に直接関係しているかははっきりしないが、確かに現在のJRAは外国人天下、地方出身騎手の活躍が目立つ。ある関係者によれば青木騎手は現役にこだわっており、これまでも米国、韓国、オーストラリア、フランス、イタリアへの遠征経験があることから、海外で免許を取って外国に騎乗機会を求めることも考え、悩んでいたという。

 デビュー2年目の96年には32勝を挙げ、フェアプレー賞を受賞し、将来を嘱望された青木騎手。その後、騎乗機会に恵まれなくなっていった心中はいくばくのものだったか。今年は年明けの1月23日にダービー2勝ジョッキーの小島貞博調教師(享年60)が借金苦で自殺。

 年の瀬にまた痛ましい悲劇が繰り返されてしまった。

 

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