【WWE殿堂入り】藤波 WWWFジュニア王座通算52回防衛認められた

2015年03月20日 06時30分

ニューヨークのMS・GでWWWFジュニア王座を奪取、凱旋帰国した頃の藤波(1978年2月)

“炎の飛龍”藤波辰爾(61=ドラディション)が日本人プロレスラーとしては2010年の“燃える闘魂”アントニオ猪木に続く史上2人目のWWE殿堂入りを果たすことが18日、本紙の取材で分かった。一両日中にも正式発表される。WWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王座戴冠を筆頭に、多大な貢献と功績を残したことが高く評価された。WWE殿堂入り式典は28日(日本時間29日)にカリフォルニア州サンノゼのSAPセンターで行われる。

 藤波に師匠の猪木と肩を並べる新たな勲章が加わった。この日、藤波は本紙の直撃に対して「まだ何にも正式な知らせはありませんが」と慎重に前置きした上で「猪木さんが受賞した時、『いつかは俺も』と思っていた。正式に伝えられるのであれば、跳び上がるくらいうれしい」と言葉を選びながら、破顔一笑した。

 1978年1月、ニューヨークのマジソンスクエア・ガーデン(MS・G)で「ドラゴン伝説」が幕を開けた。カルロス・ホセ・エストラーダを“プロレスの神様”カール・ゴッチ直伝の大技ドラゴンスープレックス(飛龍原爆固め)で撃破し、WWWFジュニア王座を戴冠。現在のビンス・マクマホン会長兼CEOの父、マクマホン・シニアの目に留まり、レギュラー参戦を果たすようになった。

 WWWFジュニア王座の防衛は実に通算52回。日米を往復し、3年9か月間も保持した。日本では「ジュニアヘビー級」の人気と地位を確立させ、ヘビー級転向後もWWFインターナショナルヘビー級、IWGPヘビー級王座などタイトルを総ナメにした。一方、藤波の試合を見てレスラーを志した選手も多く、ノア創設者の故三沢光晴さんも目標にしていた。鍛え抜かれた肉体と卓越した受けの技術はファンの心をワシづかみにした。その輝かしい功績をWWEが殿堂入りの栄誉でたたえる。

「誰もが授与されるものじゃない。まして(WWEは)自分のレスラー人生で大きなスタート地点でもある。ニューヨークの本部の殿堂は夢。レスラーの夢でしょう」。今もニューヨークに行くたびに、必ずMS・Gを訪れる藤波は、珍しく声を上ずらせた。

 殿堂入り式典はWWEの年間最大イベント「レッスルマニア31」(29日=日本時間30日)の開催日前日に行われる。

 今年は俳優のアーノルド・シュワルツェネッガー(67)、“マッチョマン”ランディ・サベージ(享年58)、元AWA王者のラリー・ズビスコ(61)、リキシ(49)、ブッシュワッカーズ(ルーク&ブッチ)、メデューサのリングネームで知られるアランドラ・ブレイズ(51)の殿堂入りが決まっている。藤波はそうそうたるメンバーと揃い踏みを果たす。

 また、殿堂入り式典では各受賞者をステージに迎えるインダクターが指名され、こちらも注目が集まる。猪木の受賞時はライバルだった“不沈艦”スタン・ハンセン氏(65)が務めた。新日本プロレスの黄金時代に最前線を張った藤波は、数々の大物と対戦経験があるだけに、誰が藤波を迎え入れるのかにも注目が集まる。

“超人”ハルク・ホーガン(61)、“黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャー(74)、ボブ・バックランド(65)、チャボ・ゲレロ(66)…さらにはWWEで絶大な人気を誇る“ネイチャーボーイ”リック・フレアー(66)も因縁の相手だったことから、候補に浮上している。当日、タキシードに身を包んだ藤波は誰にエスコートされるのか。目が離せない。

☆ふじなみ・たつみ=本名・辰巳。1953年12月28日生まれ。大分県国東市出身。71年5月9日、日本プロレスでデビュー。72年、アントニオ猪木の新日本プロレス旗揚げに参加。78年1月23日にニューヨークのMS・Gでカルロス・ホセ・エストラーダを破り、WWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王座を奪取。ドラゴンブームを巻き起こす。82年1月にヘビー級転向。同年8月にWWFインターナショナルヘビー級王座獲得。翌年から長州力との“名勝負数え唄”で日本全国を沸かせた。88年5月にIWGPヘビー級王座獲得。99年新日プロ社長に就任。2006年6月に退団して08年にドラディション設立。12年に40周年を迎えた。長男はプロレスラーのLEONA。183センチ、105キロ。