【プロレス蔵出し写真館】秋山準が「最高峰」と評したノア・小川良成 33年前に左ヒジを脱きゅう ケガに泣いた若手時代

2020年07月26日 11時00分

左ヒジを脱きゅうし担架で救急車に向かう小川。付き添うカブキ(左)、佐藤昭雄(中央)

 東スポと言えばプロレス。プロレスと言えば東スポ。日本マット界の歴史をリングサイドから見続けてきた本紙ベテランカメラマンが秘蔵写真を蔵出し公開! 天変地異が起きようが、家庭が崩壊しようが、プロレス会場に駆け付け、レスラーを密着マークしてきた。〝伝説の一枚〟をとくとご覧あれ――。

 新型コロナウイルスの感染拡大防止で興行を自粛していたノアが、18日から観客の定員を制限して興行を再開した。定員を絞っての開催とはいえ、観客の前で試合をすることは選手たちの喜びもひとしおだろう。

 そのノアのベテラン・小川良成は今年デビュー35周年を迎える。

 今から36年前、1984年に全日本プロレスに入門した小川は、翌年5月19日の北海道・網走大会での14人参加のバトルロイヤルで試運転(集団で押さえ込まれ早々と姿を消した)し、9月3日に岩手・宮古大会でジャパンプロレスの笹崎伸司相手でデビューを果たした。

 若手時代の小川は、ずいぶんとケガに泣かされていた。

 デビューしてから1年が過ぎた87年1月30日、岩手・花巻市民体育館での笹崎との試合で悲劇が襲った。笹崎にコーナーに振られた小川がロープに飛び乗り、振り返ってフライングボディアタックを狙ったのだがタイミングが合わず左腕からマットに落下し左ヒジを脱きゅう、左腕を押さえて動けなくなった。見ると左ヒジの骨が飛び出すという、見るに堪えない状況だった。

 小川は左ヒジを添え木で固定され、担架に乗せられ救急車に運ばれた(写真)。

 それから約2か月後の4月13日、愛媛・松山大会で百田光雄を相手に復帰戦を行ったのだが、左ヒジに大き目の包帯が巻かれた痛々しい姿だった。

 その後はケガで欠場→復帰の繰り返しだった。

 それでも「レスラーとしての目標は、どんな相手にも対応できるカブキさん(ザ・グレート・カブキ)」と語っていた小川は黙々と仕事をこなし、90年代後半に故三沢光晴さんのタッグパートナーに抜擢され光明が差した。前座で不遇だった小川の評価は徐々に上がっていった。

 全日本プロレスからDDTにレンタル移籍した秋山準は「DDTの選手は小川さんに教えて貰った方がいいですよ。最高峰ですよ!」とツイートしていた。前座で培ってきた技術はダテではなかったようだ。小川の今後に注目だ。