神様が用意してくれた三沢さんとの最後のお別れ

2019年06月13日 16時58分

三沢さんの最後のパートナーを務めたのが潮崎だった(09年6月13日)

【プロレスPLAYBACK=2009年6月13日】13日はノアの創設者・故三沢光晴さん(享年46)の命日で、今年は没後10年に当たる。エディオンアリーナ大阪第2競技場ではメモリアル大会が開催され、GHCタッグ選手権が行われる。2009年6月13日にプロレス界を襲った悲劇を、本紙は8ページで報じている。

「ノアの三沢光晴社長は13日の広島県総合体育館大会のGHCタッグ選手権中に頭部を強打。同日午後10時10分、心肺停止が確認され帰らぬ人になった。46歳だった。死因は『頸髄(けいずい)離断』。事故の4日前、三沢さんは本紙に対し“遺言”とも受け取れる言葉を残していた。9日の沼津大会、試合前の三沢さんは明らかに体調が悪そうだった。それでも取材に応じると『俺、もうすぐ47歳だよ? 48歳まではちょっとやれない。もう辞めたいね。体がしんどい。いつまでやらなきゃならないのかな』と明かした。辞めたいという言葉は日常的な口癖でもあったが、切迫感が違った。体の変調と限界をはっきり感じ取り、本紙に引退の意思を打ち明けたのだ。古傷の両ヒザと腰に加え、首には骨が飛び出す骨棘(こつきょく)でき、07年からは右目の視力障害にも悩まされていた。思い切って休んだら?と問うと『それはダメだね。一度休んだら気持ちが切れて、もう戻れなくなる。それにシオ(潮崎豪)を上にあげてやらないと。タッグのタイトルを取らせてやりたい』。若手を引き上げてから身を引く。三沢さんはレスラーとしてのゴールを間近に設定していた」(抜粋)

 沼津で三沢さんからこの言葉を聞いた記者に後日、関係者が明かした。「あのシリーズ、社長は本当に体調が悪くて、試合前に控室から出てきたのは沼津とその前日の八王子だけなんです。だからお話されている光景を見て驚きました。後から考えたら(記者に)神様が最後のお別れを用意してくれたってことだったんですかね」

 そんな奇跡が起きるより、三沢さんにもっと長生きしてほしかった。13日は潮崎が三沢さんと戴冠できなかったタッグ王者としてメインのリングに立つ。