【新日本】S・S・マシン引退にあの男が涙 09年8月からの不毛抗争を振り返り

2018年04月13日 16時30分

結果的に最後の試合となったタッグマッチでファンの声援に応えるマシン。左から永田裕司、井上亘、マシン、キャプテン・ニュージャパン(2014年4月)

 さよならマシン――。1980年代から新日本プロレスで活躍したスーパー・ストロング・マシン(年齢不詳)が12日に引退を発表。意外な?「最後のライバル」が惜別のエールを送った。

 新日プロはこの日、公式ホームページでマシンの引退を発表した。本人の意向により引退試合は行われず、6月19日の後楽園大会で引退セレモニーが行われる。マシンは84年に将軍KYワカマツ率いるマシン軍団のメンバー・ストロングマシンとして新日マットに登場。183センチ、115キロの大型マスクマンとして、覆面=ジュニアの常識を覆した。その後はS・S・マシンに改名。86年には全日本プロレスに参戦して故阿修羅・原さんとアジアタッグ王座を獲得。87年に新日本に復帰してIWGPタッグ王座を2度獲得。魔神風車固めを武器に多くのヘビー級選手と好勝負を展開した。

 一時は素顔に戻り、現場責任者や道場コーチなどを歴任し、後進の指導にあたった。温厚な人柄は選手や関係者からの信頼も厚かった。結果的には14年4月2日後楽園大会の6人タッグ戦が、最後の試合となった。

 今となっては誰も覚えていないかもしれないが、マシンが現役として最後の輝きを放ったのが、09年8月に始まったノアのハレンチ王・杉浦貴(47)との不毛な抗争だ。杉浦から唐突に因縁をつけられたマシンが激怒し、新日マットG1名古屋大会でタッグ初対決(09年8月13日)が実現。ごく一部でマシン再ブームを巻き起こし、最終的にはノアマットでコンビも組んだ(同年12月)。当時は無礼の限りを尽くしたが、大先輩の決意を聞いたハレンチ王は「中学生のころにテレビで憧れていた人。戦って組めて最高だった。いろいろイチャモンつけましたけど、本当にお疲れさまでした…」と涙目になりながら、直立不動で頭を下げた。

 マシンは「様々なことがありましたが、悔いのないプロレス人生を送れたと思います。ファンのみなさんの応援があったからこそ、これだけ長く現役生活がおくれたと思います。みなさん、長い間、本当にありがとうございました! ギギギッガガガッ」と涙声にも聞こえる機械音で惜別のメッセージを締めくくっていた。ギギギ…(涙)。