【新日本】鷹木がⅠWGP世界ヘビー級王者に 信念貫いた“改名拒否”騒動

2021年06月08日 11時00分

鷹木はベルトの重みをかみ締めた

 苦労人がプロレス界盟主の頂点に上り詰めた! 新日本プロレスの第3代IWGP世界ヘビー級王座決定戦(7日、大阪城ホール)は、“ザ・ドラゴン”こと鷹木信悟(38)が“レインメーカー”オカダ・カズチカ(33)を撃破し、悲願の最高峰王座を手に入れた。プロレスラーを志し、アニマル浜口ジムに入門してからちょうど20年目。山あり谷ありのプロレスラー人生だったが、自分の信じた道を貫き続けた。その裏に隠された苦難の物語に迫る――。

 首を負傷したウィル・オスプレイ(28)のベルト返上に伴い行われた新王座決定戦は、36分の死闘となった。ラスト・オブ・ザ・ドラゴンを炸裂させてオカダを沈めた鷹木は、次期挑戦者に飯伏幸太(39)を指名。「ベルトをかけて俺とやるのか。『イエス』か『はい』か、ここで答えてみろ!」とジャイアニズムあふれる2択を迫り、V1戦での激突が決定的となった。

 ついに頂点のベルトにたどり着いたが、その道のりは決して平坦ではなかった。ドラゴンゲート時代の2006年に経験した米国武者修行中には右手を骨折。試合ができない代わりに音響のアルバイトを手伝わされる屈辱を味わったため、翌日からギプスにテーピングを巻き、骨が折れたまま試合に出場した。

 家族の支えもあった。12年に開催された地元の山梨大会では「初凱旋だから超満員にしたいんだよね」と話したのを聞いた母の千津美さん(66)が、あらゆるツテをたどって約200枚のチケットを売ってくれた。その感謝は今でも忘れず、鷹木は自身の活躍で親孝行した。

 19年8月の日本武道館大会を観戦した千津美さんは「こんなにも息子が応援されてるのを初めて見て感動した」と言ってくれたという。「親としては声援を受ける息子はうれしかったんじゃないのかな。ドラゴンゲートじゃあまり応援されなかったから」と苦笑い。

 トップの地位を確立していた古巣を18年10月に退団し、主戦場を新日本に移したのは重大な決断だった。「プロレスラーとして東京ドームや日本武道館で試合したいという気持ちと、あとはやっぱり強く意識してた同世代のすごいやつらと戦いたかったという気持ちが大きかったよね」と振り返る。

 ともに「昭和57年会」として切磋琢磨していた飯伏、内藤哲也(38)と全盛期に戦わずしてキャリアを終えれば一生後悔が残ると考えた。また当時、タッグパートナーのBUSHI(38)からはリングネームの改名を提案されたこともあったという。

「『コスチュームも変わるなら名前もローマ字のSHINGOにしない?』って案があったんだけど。やっぱり新日本に来るにあたって一番意識している『内藤哲也』、『飯伏幸太』といざ戦うとなって、会場の電光掲示板に名前が出る時を想像したら(自分も)漢字4文字がいいなって。その時に信念を悟ったんだよね」

 こだわり抜いた「鷹木信悟」の4文字は、確かにプロレス界最高峰のベルトに刻まれ、そして願い通り飯伏との王座戦も引き寄せた。

 浜口ジムに入門するために上京してちょうど20年になる。脳裏に浮かぶのは師匠の言葉だ。

「『一瞬の歓喜のために、人間は苦しむんだ』って浜口さんが言っていたことを思い出すなって。20年間、諦めずにやってきてよかったなって思うよ」

 決してエリートではない。文字通りの“叩き上げ”の鷹木の腰でさんぜんと輝くベルトはどんな試練からも逃げず、負けても負けても立ち上がってきた不屈の闘志を祝福した。 

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