【取材のウラ側 現場ノート】2020年の新日本プロレスで最も印象に残っているのが、10月6日の広島大会だ。メインイベントの「G1クライマックス公式戦」で棚橋弘至(44)がKENTA(39)をテキサスクローバーホールドで破り「愛してま~す!」のマイクアピールで締めくくった。棚橋は、マイクを握った瞬間からもう泣いていた。

 新型コロナウイルスといういまいましい感染症は、スポーツ、エンターテインメント、あらゆるジャンルに多大な影響を及ぼした。プロレス界も例外ではない。興行自粛からの再開後も入場者数は制限され、大声の応援は禁止。超満員の観客が大声援を送る光景が、いかに尊いものだったのか痛感する日々だ。

 記者の仕事様式も変化し、選手の対面取材の機会は激減した。団体によって対応に差異はあるものの、担当する新日本プロレスでは飲食店での取材活動に自粛要請をはじめ、密を避けるためにインタビュースペースへの立ち入りはオフィシャルサイトに限定されるなどの対応が取られている。

 そんな中で電話取材に積極的に協力してくれたレスラーたちには感謝してもしきれない。それでも恥を忍んで告白すると、以前のような活動ができないことにモチベーションが低下した日もあった。G1も例年のように全ての地方会場を訪れることはできず、冒頭に書いた広島大会は動画配信サイト「新日本プロレスワールド」で「ああ、広島に行きたかったなあ」などとぶんむくれながら観戦していた。

 だからこそパソコンの画面で、涙ながらにマイクパフォーマンスをしているエースの姿を見て目を覚まされた。長年の激闘で満身創痍の棚橋がヒザの痛みに耐えて戦っているのに、この人が一番我慢しているはずなのに、自分は何をやっているのだろう。いまできることを、精一杯やるしかないと教わった気がした。

「愛してま~す!」は新日本プロレスのメインイベントで棚橋が勝利した際の代名詞で、かつては毎日のように会場にこだましていた。しかし近年は負傷による低迷もあり、その機会が減少。この日は実に約1年ぶりのマイクパフォーマンスだった。

「あんなに会場にお客さんがたくさん入っていたのに、みんなに感謝の気持ちが伝えられない。コロナ禍の状況で来てくれているお客さんにも、言うことができなかった。だからあの日は、1年分の『愛してます』でしたね。会場に来たくても来れない人がいる状況なので、そういう人たちに『プロレスを捨ててほしくないな』って思いもありました」(棚橋)

 2000年代の「暗黒時代」から団体を再興させた立役者は紛れもなく棚橋弘至だ。2009年1月4日東京ドーム大会で武藤敬司(58)からIWGPヘビー級王座を奪還すると、プロレス界の主役の座を確たるものにした。献身的なファンサービスと精力的なプロモーション。誰よりも働いた。オフなんてなかった。それでもリングに上がれば華やかにメインイベントを締めくくり、日本全国で「愛してま~す!」と叫び続けた。その言葉はプロレスの魅力を啓蒙する旗印だった。

 あれだけ苦労して取り戻した超満員の光景を、こんな理不尽な理由で失う日が来るとは、夢にも思わなかった。だが棚橋の心が折れることはない。「これは僕だけの試練ではないですけど、試練があると超えなきゃと思うんです。試練は超えられる者に与えられると思ってるので。コロナを克服した世界は、もうひとつ強くなると思うし。いろんな制限もあって、気持ち的には落ちても仕方ない状況だと思う。でもね、そういう時に常に前向きで明るく、それでも進んで行こうぜっていう舵取りがしたいんです」

 21年1月4日東京ドーム大会で、棚橋はグレート―O―カーンと対戦する。かつて6年連続でメインイベントを務めた年間最大興行で、後輩選手とのノンタイトル戦という現状には決して納得していない。「誓ったんです。もう1回新日本を復興させると。残りのキャリアのほうが少ない状態になってきて『もう一度IWGP王者に』って思いはずっとあります。けど、残りのキャリア何に使おうかなって思ったとき、新日本プロレスもう1回立て直したいなと。キャリアのなかで2回立て直したレスラーはいないでしょう。そのためにも来年はベルト戦線に絡みたいので。元付け人に超えられている時間はないですね」と完全復活への意欲を語っている。

「プロレス界の太陽」は、44歳になった。肉体には激闘のダメージが蓄積している。「ファンもそろそろ心配を通り越して『大丈夫?』みたいな。痛々しくて素直に応援できない状態になってきているので。でも『無理しなくていいよ』とは思われたくない。もう1回コンディションを戻してベルト戦線を描いてますよ」と本人が認めるように、近年は特に古傷のヒザの悪化に苦しむシーンが目立つようになった。

「ボロボロの棚橋なんて見たくない」という声も確かにあるだろう。だが、その表裏一体のところには「ボロボロの棚橋が一体何を見せてくれるのか」という見方がある。そして個人的には、それこそがプロレスの醍醐味なのではないかと思う。こんなにもやりたいことがうまくいかない世の中だからこそ、どうか棚橋のプロレスを期待して見てほしい。もしかしたら無責任で残酷なことを言っているのかもしれない。それでも太陽はまた昇り、ファンに勇気を与えてくれると信じている。

(プロレス担当・岡本佑介)