“野人”中西を大飛躍させたヤングライオン杯優勝

2020年03月28日 16時35分

永田(左)にエルボーを決める中西。2人とも若い

【プロレスPLAYBACK(1995年3月27日)】新日本プロレスで活躍した野人こと中西学の引退試合(2月22日、後楽園)から早くも1か月が経過した。涙と笑いの感動のフィナーレは、ファンの記憶に永遠に刻まれることだろう。振り返れば波瀾万丈のレスラー生活だった野人にとって、最初の勲章となったのが、1995年3月27日の第6回ヤングライオン杯優勝だ。決勝戦の相手は盟友のミスターこと永田裕志。舞台は、今ではプロレスで使われなくなった東京体育館(観衆8500人=主催者発表)だった。この日のメインは蝶野正洋VS佐々木健介で、決勝戦はセミ前という重要な位置で行われた。

「大器が苦難のVを決めた。第6回ヤングライオン杯決勝戦は中西が永田を執念のアルゼンチン式背骨折りで下して優勝。賞金100万円と海外遠征の切符を手中にした。負けるわけにはいかなかった。昨年は決勝で敗退。左肩と左ヒザの激痛をこらえながら悲壮な決意でリングに向かった。しかし公式戦で中西を破っている永田は左肩狙いのアームブリーカー、逆十字、ワキ固め…中西は耐えるのが精一杯だ。キックが後頭部と左ヒザに乱れ飛ぶと、たまらずリングに崩れ落ちた。しかし永田がほおを強烈に張りつけると、中西の目が覚めた。豪快なラリアートで逆転するや、一気にパワー殺法を全開。水車落としからアルゼンチン、ギブアップが奪えないと見るや、前方へ放り捨てボディーにヒザを突き刺す。そして最後は3度目のアルゼンチン。苦闘ながら本命の中西がVを勝ち取った。『本命と呼ばれたことで他の選手のマークと攻めがきつかった。基本のしっかりした新日本のレスリングを米国で見せつけて、パワーとスピードを吸収してきたい。大きな収穫をつかんで帰ってきたい』。大器がメインイベンターへの階段を上がり始めた」(抜粋)

 中西は7月に米WCWへ単身遠征。ジョージア州アトランタを拠点に「クロサワ」のリングネームで活躍し、元NWA世界ヘビー級王者の“狂乱の貴公子”ことリック・フレアーや、暴走戦士ロード・ウォリアーズのレジェンドとも対戦した。

 翌年9月にはクロサワとして凱旋帰国。試練の9番勝負でフレアー、長州力から初勝利を奪う大殊勲を挙げ、ヤングライオン杯優勝時の公約通りに一大飛躍を遂げた。しかし決して道は平坦ではなく、G1初制覇は99年8月で、悲願のIWGPヘビー級王座戴冠は2009年5月だった。

 引退した今後は京都の実家で家業である茶農家を手伝いながら、プロレスにも携わる予定。試合をしてもしなくても関係ない。もはや絶滅寸前となった奇跡の生命体・中西は、マット界にとって永遠に必要な存在だ。