かつて若獅子と呼ばれた吉田光雄=長州力の凱旋試合

2020年03月08日 11時00分

これが若き日の長州の必殺技「羽根折り固め」だ

【プロレスPLAYBACK(1977年3月4日)】先日、「日本プロレス殿堂会」の設立が発表された。ミスタープロレスこと天龍源一郎、革命戦士・長州力、炎の飛龍・藤波辰爾らかつてのライバル勢が会見の壇上に並ぶ姿は壮観だった。常に周囲を威圧するような緊張感に満ちていた長州が笑顔を絶やさなかったことは、ここ数十年間でもちょっと記憶にない。

 今から43年前の1977年3月4日高崎の新日本プロレス「第4回ワールドリーグ戦」開幕で、長州が約2年半の海外修行を終えて凱旋帰国第1戦を行っている。ミュンヘン五輪出場後に新日プロに入門。74年8月8日エル・グレコ戦でデビューし、秋には海外に旅立ち欧州から米国を転戦した。当時はまだ本名の吉田光雄。相手はロベルト・ソト(後のジ・インベーダー2号)だった。

「帰ってきた若獅子・吉田は約2年半ぶりのリングとあっていくぶん緊張した面持ち。ソトの腕を取るといきなりアームホイップでグラウンドへ持ち込みバックから腕を絡める。ミュンヘン五輪に出場しただけあってグラウンドの技術は天下一品だ。場内は吉田のファイトに注目して異様な静けさだが、荒っぽいファイトが一気に爆発。トーキック3連発、パンチ、キック、ショルダースルーで投げ飛ばす。最後はソトのボディーに深々と右ヒザを突き刺し、両腕をフルネルソンで締め上げてブリッジ――これが新兵器の羽根折り固めだ。完全にホールドされたソトはたまらずギブアップ。若獅子・吉田は帰国第1戦を見事な勝利で飾り、W・リーグ優勝戦線の波乱の目として大きく浮上してきた」(抜粋)

 若獅子という表現とファイト内容が実に新鮮だ。記事の下には「若獅子・吉田のリングネームを募集。当選者には30万円相当の賞品が贈られる。優勝戦が行われる3月31日蔵前国技館大会のリング上で発表される」との告知が掲載され、最終的には「長州力」のリングネームに決まった。

 ちなみに優勝はまさかの初戦敗北でこの日のトップ記事を飾った坂口征二。準優勝はマスクド・スーパースターで長州は3位につける大活躍を見せた。猪木はシード扱いだったが途中棄権。蔵前ではジョニー・パワーズとNWFヘビー級王座防衛戦を行っている。

 次のシリーズ開幕戦となった4月22日大阪大会から長州力としてリングに上がるのだが、すぐに華々しい日々が始まった訳ではない。むしろ中堅での苦悩の時代は長く続き、藤波との一大抗争が始まる82年10月まで雌伏の時を過ごさねばならなかった。それだけに会見で肩を並べる2人の姿には、実に感慨深いものがあった。(敬称略)