【新日本・中西学引退発表】アマレス時代に女子選手との飲み会で緊張して会話できず

2020年01月08日 16時30分

バルセロナ五輪に出場した中西(92年8月)

 野人はアマチュア時代にも数々の“ピュア伝説”がある。1992年バルセロナ五輪にフリー100キロ級代表で出場し、専大時代から日本トップで活躍。88年ソウル五輪に向けた500日合宿にも参加した。ともに汗を流したソウル五輪フリー57キロ級8位の金浜良氏(52=日本協会女子強化委員)は、学生時代の真っすぐ過ぎる中西の姿をよく覚えている。

 合宿地で、日本でスタートしたばかりの女子がマットの空いた時間に練習をしていた。「女子って強いの?」と興味を示した野人は、ある時「練習を見に行きたい」と金浜氏を誘った。面白半分かと思いきや、練習を見る目は真剣そのもの。「みんな、すごいな…」とつぶやくと、女子選手に近づき真剣に技について聞き始めたという。

 当時歴史の浅かった女子の技術レベルが男子より高いはずもなく、普通はプライドが許さないだろう。「私たちは『何をやってるんだ』と笑ってしまったのですが、本気でした。彼は力はすごかったが、不器用なタイプ。どんなことでも参考にしたかったのでしょう。ピュアなんです」。一方で、女子選手との飲み会の席では緊張して会話もできなかったというから、ピュア度は相当の高さだ。

 90年から3年連続で全日本選手権決勝カードとなった浅沼俊幸氏との対戦は選手の間でも大人気だった。「まるでプロレスなんですよ。頭を寄せてのにらみ合いから始まる。2人とも真面目で真剣そのもの。プロに行くと聞いた時はピッタリだと思いました。52歳まで頑張って、本当にご苦労さまでした、と言いたいですね」(金浜氏)

 重量級ながら世界で活躍できたのも、このいちずな性格のおかげだろう。バルセロナ五輪でともに戦ったフリー68キロ級銅メダルの赤石光生氏(54=日本協会強化副本部長)は「本当にお疲れさまでした。また、レスリングの現場に顔を出してください。一緒に盛り上げてほしいですね」と古巣での共闘を呼び掛けた。