ライガーが見た「スーパーJカップ」の裏側 長州さんがTAKA選手を見て「なんだコイツ、宇宙人なのか」って…

2019年12月27日 11時00分

第1回Jカップにはジュニアのスターが勢揃い。(前列左から)ライガー、ワイルド・ペガサス(クリス・ベノワ)、サスケ、ブラック・タイガー、ネグロ・カサス、(後列左から)ハヤブサ、スペル・デルフィン、サムライ、茂木正淑、外道、大谷、ディーン・マレンコ、リッキー・フジ、TAKA(94年4月16日、両国国技館)

【獣神サンダー・ライガー平成ジュニア一代記(4)】来年1月4、5日の新日本プロレス東京ドーム大会で引退するレジェンド、獣神サンダー・ライガーが半生を振り返る短期集中連載「平成ジュニア一代記」第4回は、ジュニアヘビー級隆盛の契機となった「スーパーJカップ」についてだ。団体の垣根を越えてジュニア戦士を結集させる画期的な大会は、ライガーが中心となって開催された。第1回大会(1994年4月16日、東京・両国国技館)の逸話から、ベルトへの思いを語る。

 僕は体形からいって生涯一ジュニア。そう決めた以上は面白いって言ってもらいたいじゃん? だから自分がどう動けばいいかを常に考えてましたね。当時は大谷(晋二郎)、金本(浩二)、高岩(竜一)、(エル)サムライ、僕…。ギスギスしてましたね、後輩みんな、かみついてくるし。外国人も含めそうそうたるメンバーが切磋琢磨して「俺が俺が」ってやってきた結果が、新日ジュニアとして認められたんじゃないかな。

 Jカップは確か雑誌の座談会で(ザ・グレート)サスケ選手たちと集まったときに、8・26オールスター戦(1979年、東京スポーツ新聞社主催)はすごかったよね、僕らも夢のある試合したいよねという話になったんです。とりあえず僕が年長さんだし「会社に通してみるわ」と。それで第1回を新日本がやったんだけど、ここで新日本だけが儲けるのはよくなくて。みんなで潤える、プロレスは日本どこでも大きな大会が開け、どこでも楽しめるようにしたかった。それで持ち回りでやったんだと思います。

 当時の他団体も実力者が揃ってました。1回戦で戦ったハヤブサ選手(故人=FMW)は試合もすごかったけど、スター性というか雰囲気持ってたし輝いていたよね。こんなにすごいレスラーたちがいたんだってファンの皆さんに見てもらえたことが一番の喜びであり、成功だったかな。長州(力)さんが控室でモニター見ながらTAKA(みちのく)選手を「なんだコイツ、宇宙人なのか」って言ったの、あれ本当の話だからね。

 僕は何か新しいことをやろうよ、というのが向いてる。1回目のJカップは優勝できなかったけど、やりたいことはやれて十分楽しんだ。次、なにか面白いことはないかなって思ったときに、ベルトがいーっぱいあったんで「統一したらいいやん」となって、また新しいものが生まれていったんです。基本的にはまず自分が楽しみたいんです。だって自分が面白くなきゃ、やる意味ないやん(笑い)。

 ベルトの話になったけど、なんでレスラーが一生懸命練習して試合をするのかって、テッペンを取りたいからだよね。その通行手形はベルト。それを目指して頑張ってるんだから、IWGPジュニアヘビー級のベルトは絶対持っていたかった。自分が引退表明したのは3月にベルトに挑戦して負けた翌日だったでしょ。もうケジメつけてもいいんじゃないのかなって自分自身で決めたのは、やっぱりこだわり続けたタイトルマッチに勝てなくなったからだよね。

「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」のような過酷なリーグ戦は卒業しても、一発勝負のタイトルマッチならチャンスはあると思ってたから、当時は。引退の話はしていないでしょ。でも石森(太二)君に負けたとき、もう伸びしろもないし、一発勝負でもベルトは取れないんだな、じゃあもうレスラーとしてリングに上がる価値はないんだろうなって思った。これはずっと昔から言ってること。僕の根底にある考え方なんだよね。

 ☆じゅうしんサンダー・ライガー 1989年4月24日、漫画家の永井豪宅で誕生。同日の新日本プロレス東京ドーム大会(対小林邦昭)で獣神ライガーとしてデビュー。同年5月25日にIWGPジュニア王座を戴冠し、90年1月に獣神サンダー・ライガーに改名した。「トップ・オブ・ザ・スーパー・ジュニア」や「スーパーJカップ」などで優勝を飾った他、ヘビー級戦線でも活躍。平成のマット界にジュニアの一時代を築いた。正体は「山田恵一」とされる。170センチ、95キロ。

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