30年前のライガー誕生秘話 会社からデザイン画渡され「あとはお前がやれ」

2019年12月25日 11時00分

ライガーのデビュー戦。小林(下)との一戦は観衆の度肝を抜いた(89年4月24日、東京ドーム)

【獣神サンダー・ライガー平成ジュニア一代記(2)】引退試合(来年1月4、5日、東京ドーム)を控えた新日本プロレスの獣神サンダー・ライガーが半生を振り返る短期集中連載「平成ジュニア一代記」第2回は、1989年4月24日の「獣神ライガー」誕生秘話に迫る。素顔でデビューしてから約5年、「リバプールの風になった」の名言とともに消息を絶った「山田恵一」の身にいったい何があったのか。

 山田君に大きな転機が訪れたのが(1989年1月に)2回目の英国遠征に船木(優治=現・誠勝)選手と一緒に行った時です。会社から電話がかかってきて「東京ドームでマスクマンを出そうと思っている。やる気あるか?」って言われて。今でもコンプレックスなくらい自分の素顔が好きじゃないので、二つ返事でしたね。よく素顔は闘争心が出ていていいと言っていただくんですけど、自分の顔はまず男前じゃないなってのがあって本当に嫌だった。(ミル)マスカラスも好きだったし、マスクマンになりたかった。

「リバプールの風になった」って発言が有名ですけど、実は当時の専門誌で、山田君と(漫画家の)永井豪先生で対談して「今度ライガーになる」って、ちゃんと言ってるんです。僕も会社に「いまどき正体不明なんてはやらないですよ」って言いましたし。しかもこの体形…他にいないじゃん!

 英国から帰って会社からデザイン画を渡されたら「あとはお前でやれ」って、それだけ。自分でコスチューム作ったんだよ。シューズもレガースも、作ってもらっていたところに持っていって、ああでもない、こうでもないって言いながら。作ってあるものを着てみて「嫌なところあったら言ってね。直すから」とかなら分かるんだけど、デザイン画だけ。本当よ。

 もしも山田恵一のままだったら45歳とか、10年くらい早く引退してたんじゃないかなって思います。マスクをかぶることでライガーになれるんですよ。小林邦昭さんが言ってたんだけど、昔メキシコにエル・サントっていうレスラーがいて、控室ではヨボヨボのじいさんなんだって。でもマスクをかぶった瞬間にシャキーンとしてリングでも動けるようになると。それくらいマスクってスイッチ入るんだよね。ライガーになれたから、この年(55歳)までできた。

 特別な相手はやはり佐野(直喜)さんですね。3か月くらい先輩なんですけど、何をやってもすごかった。僕はジェラシーの塊ですよ。佐野さんとのIWGPジュニアヘビー級王座戦は最初(89年7月13日、両国)が両者KOで、2回目(同年8月10日、同)でベルトを取られてしまうんですけど。肩を亜脱臼して、会社からは「ベルトを返上しなさい」と言われていたんですが、試合をせずに佐野さんに負けることだけは絶対に嫌で(アメフトの)プロテクターをつけて試合をした。どの試合と言われても困るくらい、佐野さんとの試合は全部印象に残ってますね。

 今の新日本って、みんなで盛り上げていこう、世界の新日本にしていこうって一致団結してるイメージがあるでしょ? 昔の新日本は違うもんね。「俺が、俺が」だもん。そりゃぶつかるよ。リングの中でも外でも突っ張ってるから、面白い人いっぱいいたよ。ケンカもようしたし、酒飲んで暴れる人もよういたし(苦笑)。橋本真也(故人)もその中の一人だよね…。

 ☆じゅうしんサンダー・ライガー 1989年4月24日、漫画家の永井豪宅で誕生。同日の新日本プロレス東京ドーム大会(対小林邦昭)で獣神ライガーとしてデビュー。同年5月25日にIWGPジュニア王座を戴冠し、90年1月に獣神サンダー・ライガーに改名した。「トップ・オブ・ザ・スーパー・ジュニア」や「スーパーJカップ」などで優勝を飾った他、ヘビー級戦線でも活躍。平成のマット界にジュニアの一時代を築いた。正体は「山田恵一」とされる。170センチ、95キロ。

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