ライガーは「平成のジュニア」を生んだ“発明家”

2019年12月14日 11時00分

外道(上)に浴びせ蹴りを放つライガー

【プロレスPLAYBACK(1995年12月13日)】新日本プロレスに所属する獣神サンダー・ライガーのラストマッチ(来年1月5日=東京ドーム)のカードが、ライガー、佐野直喜組対高橋ヒロム、リュウ・リー組に決まった。ジュニアで一時代を築き上げた功績者であると同時に「平成のジュニア」というジャンルを特化させた偉大なる“発明家”でもあった。

 1994年4月16日には自らが提唱した記念すべきジュニアの祭典「スーパーJカップ」を両国国技館で初開催。団体の垣根を取り払い、ハヤブサ(当時FMW)、ザ・グレート・サスケ、TAKAみちのく(いずれも当時みちのくプロレス)らのすごさを世間に認知させた。地上波でも放送された反響は大きく、時代と階級のスタイルが大きく変わったことをファンの脳裏に刻んだ。

 第1回大会はその後にWWEで活躍するワイルド・ペガサス(クリス・ベノワ)が優勝。第2回大会(95年12月13日)は、現在ドラゴンゲートの最高顧問を務めるウルティモ・ドラゴンが所属したWARが開催。大バクチとされたが、ふたを開けてみれば両国国技館が超満員札止めとなる大盛況に終わった。開催者の重圧から解き放たれたライガーが圧巻の内容で初優勝を決めている。

「復活ライガーがジュニアの頂点に立った。ジュニアの祭典『SUPER J―CUP~2nd Stage~』(13日、両国国技館)は1万1500人(超満員札止め)の大観衆が熱狂するハイパーバトルの連続となった。14選手参加のトーナメント決勝戦はライガー対外道の激突となり、15分47秒、ライガーが雪崩式フィッシャーマンズバスターで圧巻の勝利。悲願の初優勝を決めてジュニア第一人者の座へ復権を果たした。『プロレスって本当に素晴らしい。これで本格復活へ弾みがついた』とライガー。昨年9月に左足首骨折で約1年間のブランクをつくっていただけに、感激もひとしおだった。Jカップ覇者の勲章を胸に、来年1月4日のIWGPジュニアヘビー級王座奪還(対金本浩二)へも大きく弾みをつけた」(抜粋)

 結局、ライガーは金本戦でも勝利して7度目の戴冠を果たした。第3回大会(2000年4月=みちのく主催)でも優勝。ジュニアトップの実力を証明して2連覇を達成した。第4回大会(04年2月、大阪プロレス主催)と第5回大会(09年?月、新日本主催)は、ノアの天才・丸藤正道が圧巻の試合内容を見せつけて連覇。今年8月に米国で開催された第7回大会でライガーは、プロデューサーとして成功に導いた。70年代の藤波辰巳(現辰爾)、80年代の初代タイガーマスクとは全く別次元の「平成のジュニア」というジャンルを生んだ偉大なる功績は、永遠に語り継がれることになる。

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