新日本プロレスの獣神サンダー・ライガーが7日、来年1月4、5日の東京ドーム2連戦で現役を引退すると発表した。数え切れない功績を残したジュニアの重鎮は、1989年4月24日に誕生した地・東京ドームでレスラー人生に幕を下ろす。会見後は本紙の取材に応じ、引き際の美学、自身の今後、そしてプライベートな話題まで、思いの丈を語った。

 かねて「最終章」を強調してきたライガーは、6日大田区大会のIWGPジュニア王座戦で勝っても負けても引退と心に決めていた。アントニオ猪木氏、山本小鉄さん、藤原喜明ら尊敬する先輩たちに教えられた「レスラーは強くなければならない」という絶対的価値観。それが年齢を重ね、体力の衰えとともに「ちょっとズレが出てきた」。惜しまれるうちに辞めるのもレスラーとしての美学だった。

 ライガー:強くなくなったら(リングに)上がっちゃダメなのかなっていうのが僕の中にはあるんです。だからといって(プロレスリング)マスターズとかでは僕よりも年上の方が試合をしていらっしゃいますけど、それは一つの考え方。どうこう言うつもりも一切ないんです。「僕は僕の考えで」というのは強調しておきたいですね。

 自分の素顔が嫌いと公言する男は、覆面をかぶることを二つ返事で了承した。だが30年もトップを張って「正体不明」は通じない。多くの人に正体を知られ「マスクマンの意味ないよね」と笑いつつも、引退後も今のままプロレスに携わることを希望する。ライガーは一代限りで、継承する者も存在しない。

 ライガー:今のキャラが強すぎて、誰もやりたくないでしょう(笑い)。ライガーを継承、伝承していくよりも、これからの人には自分自身のオリジナルで、一人ひとりやっていってほしいですね。ライガーを超える新しいキャラクターを期待? うん、それが楽しみだよね。例えば引退して僕が解説していて「なんだこのマスクマンは!」って言えるようなね。

 自宅は妻の実家に近い福岡に構えているが、こよなく愛する新日本の道場にも専用部屋が設けられている。「どういう仕事っていうのは公にはできませんが」と前置きしつつ、引退後も道場と福岡を往復する生活をイメージし、団体側と今後の話を進めているという。

 ライガー:カミさんも、もともと遠距離だったから。離れてるから寂しいとかじゃないし。「給料振り込まれるんだよね? じゃあいいよーん」って(笑い)。カミさんには言ってました。「タイトルマッチが決まったんだけど、勝っても負けても引退しようと思う」って。「ふーん」で終わり(笑い)。その距離感が奥さんなりの支え方? だったんじゃないかな。楽だもん。悩んだり考える必要ないもん。

 その背中に多くの後輩が憧れた。現在WWEで活躍する中邑真輔や、今年海を渡るKUSHIDAからも尊敬を集め、多大な影響を残した。しかしライガー自身に偉ぶるそぶりは一切ない。今後のプロレス界に望むことを聞くや「なんにもないよ。だって、今のプロレス、すごくねえ?」とまるでファンのように目を輝かせた。

 ライガー:逆に僕から言わせれば、後輩だった人間たちがあんなふうに世界で活躍してすげえなって思うよ。ファンの人がよく言ってくれるんだけど「ライガーさんの試合を見て私も頑張ろうと思います」って。KUSHIDA君とか中邑選手を見て「俺も頑張ろう」って、レスラーじゃなくなっても思うだろうね。僕はずっとプロレスファンよ。これからもそう。

 来年1月まではさながら“引退ツアー”となり、可能な限り多くの会場に行き、多くの対戦相手と試合をすることを望む。「ライガーを応援してくださいって。皆さんの声援でなんとでもなる選手なんで。そしてあと10か月、楽しんでください」。誇り高き精神を胸に、最後まで全力で走り切る。

☆1989年4月24日、永井豪宅で誕生し、同日の東京ドーム大会(対小林邦昭戦)で獣神ライガーとしてデビュー。同年5月にIWGPジュニア王座を初戴冠した。90年1月に獣神サンダー・ライガーに改名し、オープン・ザ・ドリームゲート王座やGHCジュニア王座など他団体のベルトも数多く獲得。G1クライマックスなどヘビー級戦線でも活躍した。必殺技はライガーボム、掌底。170センチ、95キロ。