極悪戦士の“素顔”とは――。新日本プロレスの怨念坊主・飯塚高史(52)が21日の東京・後楽園ホール大会で引退試合を行い、32年3か月の現役生活にピリオドを打った。2008年4月に悪の道へ足を踏み入れた男は最後まで信念を貫き、「セレモニーなし」という前代未聞の引退劇。長年にわたり見続けてきた菅林直樹会長(54)は、蛮行の裏に隠されたプロ魂をねぎらった。

 飯塚は鈴木みのる、タイチと組みオカダ・カズチカ、天山広吉、矢野通組と対戦した。入場時からファンを巻き込んで大暴れするや、リング上でもちゅうちょなく凶器攻撃、かみつきと反則を繰り返す。最後は元盟友でもある天山に敗れ、現役生活に終止符を打った。

 通常の引退興行であればこの後、リング上でセレモニーへと移るのだが…過去に例を見ない極悪レスラーにそんな常識は通用しない。試合後も飯塚との和解を試みた天山にアイアンフィンガー・フロム・ヘルを食らわせそのまま帰ってしまった。異例の結末に、会場からはいつまでも「飯塚コール」がこだました。

 1986年11月にデビューし、正統派として活躍した。真面目な性格で周囲の信頼も厚く、選手会長を務めたこともある。しかし08年4月に天山との友情タッグを解消し、頭を丸めて現在の風貌になった。当時の社長だった菅林会長は「大会前日に大阪でサイン会をやっていて、ファンの子供に『友情を大事にするんだぞ』と言っていたと聞きました。(天山を裏切ったのは)その翌日ですからね。信じられない。その子のトラウマになっていなければいいんですが…」と振り返る。

 09年11月には真壁刀義と本間朋晃を乗せた菅林会長の愛車・BMWを襲撃するテロ事件まで起こした。普通の会社なら間違いなくクビだが、菅林会長は車の修理費70万円をファイトマネーから天引きするという寛大な措置で済ませた。

「人が足りなかったからね」と冗談めかすが、決してそれだけが理由ではない。「ファイトスタイルは褒められたものではなくても、肉体を見れば彼のプロとしての誇りが伝わってきます。その姿だけで後輩たちのいい手本になっていたのではないかなと思います。スタイル転向後の行いは別として、真のプロフェッショナルでした」

 52歳とは思えぬ鋼鉄のような肉体はただならぬ練習量を如実に物語っており、誰もがその実力を認めていた。最後の最後まで己の信念を貫いた。引退後については白紙だが、ただならぬ恐怖を与え続けた極悪ぶりは、いつまでもプロレスファンの記憶に刻まれる。