【アイスリボン】藤本つかさ「恐縮ですが…私が女子プロレスの全盛期取り戻します!」

2018年08月16日 16時30分

波乱万丈の10年を笑顔で振り返った藤本つかさ

【東京プロレス娘のスイーツトーク】女子プロレスラー、藤本つかさ(35=アイスリボン)が26日に神奈川・横浜文化体育館でデビュー10周年大会を迎える。そこで今回は「特別編」として藤本の10年を振り返る。波乱の連続だったプロレス人生の転機になったのは「東日本大震災」「豊田真奈美」そして「紫雷イオ」という3つのキーワードだった。

 東北福祉大卒業後は教員になるのが目標だった。採用試験の面接対策として一般企業を受けたところ、マスコミ業界に興味を持ち、広告代理店に就職。東京勤務になってすぐ、芸能事務所の社長に声をかけられた。極秘で土日だけ芸能活動を始めた。

 藤本:大江戸温泉で踊ったりもしていました。ある日、上司に(自分が載った)雑誌を叩きつけられ「これはお前か!」って。でもやりたいことがあるならと理解してくれました。

 1年半で退社し、本格的に芸能界へ。プロレスを題材とした映画のオーディションを受けることになった。デビューすることが条件でプロレス界に入った。もともとスポーツ好きで、小2の時に山形県で1位になったクロスカントリーで五輪に出ることを夢見ていた。サッカーも好きで、2002年の日韓W杯では宮城スタジアムでボランティア活動をした。

 藤本:試合をガッツリ見てましたね。三都主アレサンドロ選手がFKを外したシーンを覚えています。日本が敗退して、大雨の中でゴミが散乱したスタジアムを泣きながら片付けました。

 08年8月のデビュー後、転機となる出来事があった。11年3月11日に起こった東日本大震災だ。故郷の風景は一変し、友人も亡くした。別の友人から「ネイルに行きたいし、遊園地だって行きたい。こういう時に娯楽が欲しい」と泣きながら言われた言葉が響いた。行動は早かった。同年夏にはマット1枚を持って被災地を巡り、ボランティアでプロレスをした。

 藤本:泣いてくださった人が結構いた。やって良かったなって。私自身もプロレスに救われたんです。なかったらあの時泣いているだけでした。

 もう一つの節目が豊田真奈美(47)との出会いだ。大ベテランに認められ、昨年11月の引退試合では最後の相手を務めた。しかも「女子プロ界の全盛期を経験してほしい」と託された。

 藤本:恐縮ですが、私が全盛期を取り戻したい。新日本プロレスのG1クライマックスをCS放送で見ていた。いいなと思ったので、まずはアイスリボン中継をやりたい。全盛期への第一歩です。

 女子プロ界は絶対エースだった紫雷イオ(28)がWWEに移籍。藤本には次期エースの期待が高まる。実は芸能活動をしていた07年3月4日、たまたま東京・新木場1stRINGを訪れた。くしくもその試合はイオのデビュー戦だった。

 藤本:今年に入って「対戦を見たい」とよく周囲から言われました。イオさんと比べられるのは光栄なことなので、ありがたかったですね。

 最後に「女子プロレスラーとは?」と聞くと、ドヤ顔で答えた。「ツカサフジモト。女性の誰もが持っている喜怒哀楽の感情をプロレスというツールで出す人です」と。26日のメインではICE×∞王者として雪妃真矢の挑戦を受ける。「勝って11年目へのスタートにします」と語り、ビッグマッチの成功を誓った。

 ☆ふじもと・つかさ 本名非公表。1983年7月30日生まれ。宮城・利府町出身。2008年8月23日新木場大会の赤城はるな戦でデビュー。芸能人フットサルチームでも活躍し、15年から取締役選手代表に。必殺技はビーナスシュート。158センチ、50キロ。