受け身を拒否!〝80年代最強外国人〟超獣ブロディの記憶に残るマスカラス兄弟戦

2020年07月24日 11時00分

ブロディといえばチェーンを抜きには語れない(1985年10月15日=石川・金沢市産業展示館)

【和田京平 王道を彩った戦士たち】全日本プロレスの和田京平名誉レフェリー(65)が往年の名レスラーを語る「王道を彩った戦士たち」第3回は、1988年7月17日にプエルトリコで不慮の死を遂げた“超獣”ブルーザー・ブロディ(享年42)の登場だ。多くのファンに愛された最強外国人選手の知られざる素顔とエピソードに迫った。

 全日本では初来日(1979年1月)直後から、グリーンボーイのまま一発で売れた唯一の選手です。全部が規格外。あの体格(198センチ、140キロ)でスタミナと技術とパワー、全部を兼ね備えていた。スタン・ハンセンより上。間違いなく80年代のトップ外国人だった。

 チェーンを持って独特の掛け声で入場するのは初来日した時、巡業中に(常連外国人選手の)キング・イヤウケアからアドバイスされたと思う。でも試合ではチェーンも凶器も使わない。「日本で目立つにはどうすればいいか」という教えを受けたんだろうけど、ヒールじゃなくて正統派。ジャンボ(鶴田)と長時間、互角で渡り合った最後の外国人だよね。あの一連の戦いはすごかった。

 リング外では180度別人。よく言われるようにインテリだった。コスチュームよりスーツが似合う、マンハッタンの一流上場企業のサラリーマンのよう。誰とも騒ぐことなく、黙って控室の隅でお地蔵様のようになって本を読んでいる。(80年代後半には)もうパソコンを使っていたんじゃないかな。とにかく近寄りがたかった。俺がコーヒーをいれて持って行っても「ノーサンキュー」だから。怖かったよ。

 自分の哲学というものを持っていて頑固。悪く言えば融通が利かない。一番記憶に残っている試合は、ハンセンと組んだ世界最強タッグ決定リーグ戦のマスカラス兄弟(ミル・マスカラス&ドス・カラス)戦(83年12月5日、福岡)。受け身を取らないんだよ。フライングクロスチョップを受けても立っているんだから不穏な試合だよね。「お前らごときに、なぜ俺たちが」という考えだったんでしょう。結局、ブロディとハンセンが初優勝したんだけどね。

 まだ当時は全日本のシステムが分かってなかったと思う。だからビジネスに徹して高いギャラを求めて新日本プロレスに移籍(85年3月)したんだろうけど、選手のサイズとか居心地とかで「これは少し違うぞ」と感じたんじゃないか。(87年10月に)全日本に戻ってからが一番良かったんじゃない。旧知のハンセンもアブドーラ・ザ・ブッチャーもいる。飛行機もファーストクラスになった。さあこれからという気持ちだったと思う。

 亡くなった日は忘れない。(ジャイアント馬場夫人の)元子さんが泣いていて、馬場さんが「どうした?」って聞いたら「ブロディが死んじゃった…」と答えた。馬場さんは「なにっ?」って言った直後に「うーん、でも仕方ないのかなあ」と。海外でトラブルを起こすことを心配していたんでしょう。

 だけど海外で亡くなった選手の追悼セレモニーを日本武道館(88年8月29日)で開催するなんて最初で最後じゃないかな。しかも米国から夫人と子供まで招待して。あれからもう32年か…。まあ間違いなく二度と出てこない80年代全日本最強の外国人選手ですよ。

 ブルーザー・ブロディ 本名フランク・グーディッシュ。1946年6月18日、ミシガン州デトロイト出身。NFLを経て74年4月にプロレスデビュー。76年にWWWF(現WWE)に参戦し、79年1月に全日本プロレスに初来日。85年3月には新日本プロレスに移籍してアントニオ猪木と名勝負を展開した。87年10月に全日本に復帰。88年7月、プエルトリコでの興行中に刺殺された。2019年にWWEレガシー部門で殿堂入り。必殺技はキングコングニードロップ。現役時は198センチ、140キロ。

(随時掲載)