全日プロ・和田京平名誉レフェリー 馬場夫妻は「本当のオヤジとオフクロ」

2018年04月23日 23時19分

和田京平氏

 全日本プロレスの名誉レフェリー・和田京平氏(63)が23日、故ジャイアント馬場さん(享年61)の夫人で14日に死去した故馬場元子さん(享年78)に、涙ながらに哀悼の意を表した。

 長く全日プロの創設者である馬場さんの“番頭役”として夫妻を支えた和田氏。東京・足立区で生まれ育った正真正銘の下町っ子だ。札付きの不良少年で、関係者の間では「人殺し以外は何でもやった」とささやかれるが、それは本人も否定しない。

 1973年に全日プロにリング設営スタッフとして加わり、同年夏にはリング設営の合間に当時流行していたディスコミュージックに合わせ腰を振っていると、馬場さんから「お前、リズム感いいな。レフェリーやれ」と命じられた。天からの啓示だった。

「10代から50年以上もずっと一緒だから、実の両親よりも長い関係。俺の本当のオヤジとオフクロですよね。実際、俺のオヤジ(実父)が亡くなった時(94年)は、会社のハワイ旅行だったんですけど、すぐに帰国できなかった俺に、馬場さんはレイを買って海に流してくれた。『京平、これからは俺たちを両親だと思っていいから』と言ってくれて。その後は本当にそうなりました」

 99年1月31日、馬場さんが死去すると、和田氏はまるで黒子のように元子さんに付き添った。海外旅行はもちろん、国内の移動から日常生活まで。自宅(東京・港区)の商店街で焼きいもを買い、渋谷区の元子さん宅まで届けることもあった。「自分ちの近くの商店街で、ミカンやら焼きいもやらを買って、元子さんちに行く。一年、365日ほとんど毎日。自分の母親の面倒を見るのは当然でしょう」

 昨年10月に元子さんは肝臓を患い、医師から「余命2週間」と宣告された。「その数か月前に入院していた時は元気でね。お見舞いに行くと悪口言われたりして。『京平、体が痛いよ』と言われれば、足をさすったりしてた。その後、連絡が途絶えた。だからまだ信じられない…」

 来年1月31日には馬場さんの没後20周年追善イベントが計画されている。「もう皆が集まるしかないんじゃないかな。イベントでも興行でも、これから先、これ以上の大義名分はないですよ」と和田氏。全日プロの“番頭役”と呼ばれた名レフェリーは、もちろん真っ先に駆けつけるつもりだ。