“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノ氏 死去

2018年04月19日 11時30分

故ジャイアント馬場さん(上)を得意技のカナディアン・バックブリーカーで担ぎ上げるサンマルチノ氏。馬場さんとは幾多の名勝負を繰り広げた(1968年8月、大阪球場特設リング)

“人間発電所”の異名を取り、故ジャイアント馬場さんのライバルとして活躍した元WWWF(現WWE)世界ヘビー級王者のブルーノ・サンマルチノ氏が米国ペンシルベニア州ピッツバーグで亡くなった。WWE公式サイトが18日(日本時間19日)に報じた。82歳だった。死因などは明らかにされていない。原子力発電所再稼働が日本各地で社会的問題となっている現在、世界一安全で心優しき発電所は永遠に稼働を停止して、馬場さんが待つ天へと召された。

 1959年に米国でデビューしたサンマルチノ氏は、182センチ、120キロと筋骨隆々の肉体と無類の怪力を誇り、イタリア出身ながらカナダ式バックブリーカーやベアハッグを武器に20歳から破竹の快進撃を続けた。63年5月にMS・Gで大スター、バディ・ロジャースをわずか48秒で撃破。第2代WWWF世界ヘビー級王者に君臨した。イタリア系のレスラーとしては、60年代前半にトップを張っていたアントニオ・ロッカに続くスターとなり、イタリア系米国人から絶大な人気を集めた。

 馬場さんとは若手時代から交流が深く、ライバルであると同時に、レスラーでは信頼を寄せられる「盟友」だった。64年2月にニューヨークで初挑戦を受け、67年3月には日本プロレスに初来日。馬場さんが国産車に乗る光景を目撃し「あまりに狭そうだったから気の毒に思ったんだ」との理由で愛車のキャデラックをプレゼントしたエピソードは有名だ。

 72年に馬場さんが全日本プロレスを旗揚げすると、積極的に参戦して数多くの名勝負を展開。73年には2度目のWWWF王座(第6代)に輝いた。76年4月にはWWWF王座戦で当時、急台頭していた“不沈艦”スタン・ハンセンに首を折られる大事件(実際は頸椎損傷)で重傷を負うも、結果的にはハンセンをビッグネームに押し上げる最大の功労者となった。

 全盛期を過ぎると新団体IWFを旗揚げしてマネジメントに徹する時期もあったが、他のビッグネームとは異なりインディ団体に「安売り」することをよしとせず、WWEやWCW、全日本などメジャー団体を中心に活動を続けた。

 81年10月、蔵前国技館で馬場さんと組んでタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組と激突した試合が事実上の引退試合。その後はWWFなどで特別レフェリーやコメンテーター、マネジャーとして活動を続けた。87年7月にWWFでハルク・ホーガンと組み、キングコング・バンディ、ワンマン・ギャング組と戦った試合が最後のビッグマッチとなった。

 99年1月31日に馬場さんが亡くなった後は、同年5月2日東京ドームの「引退記念試合」に出席。「あなたは体も心もジャイアントだった。全ての人に愛された最高の人だった。あなたが亡くなったことはとても悲しいけど、この場に立ち会えることを光栄に思うよ」とスピーチして涙交じりの大歓声を浴びた。セレモニーでは全盛期のVTRを上映し、ジン・キニスキーと肩を並べて馬場さん、ザ・デストロイヤー組との「引退試合」に出場。故ジョー樋口さんがレフェリー役を務め、馬場さんの夫人・元子さん(78)により正式な「最終試合」としてカウントされている。

 2013年にはトリプルHの熱心な説得に応じ、事実上の「完全絶縁状態」にあったWWEと和解。同年の殿堂入りを果たし、大きな話題となった。

 現在のWWEは中邑真輔やAJスタイルズが活躍し、大きく姿を変えている。日本びいきのサンマルチノ氏はどう見ていたのだろうか。今ごろは天国で、キャデラックの助手席に馬場さんを乗せてハンドルを操りながら「今はとてもスピーディーだけど、スケールの大きさでは俺たちの時代が勝っていたよな? ミスター・ババ」と初夏のハイウエーを飛ばして笑い合っているに違いない。合掌。