坂口征二プロレス50周年の激白・荒鷲の記憶

2017年07月21日 11時00分

坂口氏は笑顔で半世紀を振り返った

 戦い続けて半世紀――。「世界の荒鷲」こと新日本プロレスの坂口征二相談役(75)は8月5日(日本時間6日)、米国でのプロレスデビュー戦から50周年を迎える。2月に右ヒジ手術、その後に感染症で闘病生活を強いられたものの、4月からのリハビリで往年の肉体を取り戻した。プロレス黄金期を支え、半世紀を迎えた世界の荒鷲は今、何を思うのか。激動の半生とマット界のこれからを聞いた。

 

 明大から旭化成に進み、1965年全日本選手権優勝、世界選手権銅メダル。柔道界のエースとして期待されるも、66年にはメキシコ五輪で柔道が正式種目から外れることが決定。坂口氏は人生の岐路に立たされた。

 

 坂口氏:戦い続けたかった。全日本を取って世界選手権も出て「次の五輪は坂口」と言われていた時期に目標を失った。サラリーマンに戻り「これでいいのか?」と自問自答を繰り返した。このままなら30歳で第一線を退き、平穏な人生を送るのだろう。でも俺は戦いたかった。プロレスは好きだったしね。そんな時に日本プロレスから話があった。

 

 戦いたい。簡潔ながら男のロマンに満ちた決断だった。67年2月17日、25歳の誕生日に日プロ入団を正式発表。当然ながら柔道界からは猛反発された。発表の夜、騒動を離れるように渡米してプロレス修行に突入する。

 

 坂口氏:ほとんど手ぶらで馬場さんとハワイに渡った。「着のみ着のままが一番。必要なものは米国で買えばいいんだよ」と。その後ロサンゼルスへ渡りミスター・モトさんの下で練習に明け暮れた。一度、ワーキングビザを取るために帰国して6月に再度渡米。(カール)ゴッチさんにも教わった。徹底的にシゴかれたよ。

 

 67年8月5日カリフォルニア州サンバナディーノ、スティーブ・コバック戦でデビュー。4分51秒、跳ね腰からの上四方固めで勝利を決めた。黒いショートタイツに柔道着を羽織って入場した。

 

 坂口氏:ゴッチさんとモトさんが「サカ、何してる。早く行け!」とか大声を上げてね。止まらず細かく動けと。デビュー戦は2人とも90点をくれた。あれから50年か…。

 

 順調な船出から波瀾万丈のプロレス人生が始まる。69年3月にワールドリーグ戦参戦のため帰国。ジャイアント馬場、アントニオ猪木が黄金期を迎えていた。

 

 坂口氏:期待も背負って帰国して反響もすごかった。日本中どこでも超満員。社会現象のようなブームだった。毎日試合が終わると酒飲んでうまいもん食ってさ。すごい世界だなあと(笑い)。

 

 6週間のWリーグ戦を終えると再度渡米。通算3年6か月に及ぶ米国修行から帰国すると激動期が訪れる。71年に猪木、72年に馬場が相次ぎ退団。日プロを背負ったが傾いた流れは止まらず、NET(現テレビ朝日)の仲介で73年に猪木の新日本プロレスに合流する。

 

 坂口氏:周囲は「全日本に行くんだろう」と思っていたけど、馬場さんからは「お前は日プロを守れ」と言われてね。何十人いる選手、社員を捨てて自分だけというわけにもいかなかった。あの時、馬場さんが積極的に誘ってくれてたら、どうなっていたかな(笑い)。日プロとは契約が終わるまで筋を通し、その後に猪木さんと一緒になった。

 

 坂口氏を語る上で猪木の存在は欠かせない。引退まで常にナンバー2の位置で支えた。

 

 坂口氏:バイタリティーが違った。モハメド・アリと戦う、北朝鮮で大会をやる、ソ連から選手を呼ぶ、東京ドームで試合をする…次から次へとアイデアが飛び出す。俺は「できるわけないじゃないですか!」と驚くんだけど、話を聞いていると「可能じゃないか?」と思えてくるんだ。国家と交渉して全部結果が残っているのはすごいよね。最近は丸くなったけど(笑い)。

 

 89年から新日本社長を10年間務め、赤字経営は黒字に転じた。99年からは会長、2005年から相談役として会社を見守る。

 

 坂口氏:今年で創設45周年。悪い時代をよく耐え、体制も変わりうまく立て直してくれた。オーナー(木谷高明氏)も試合数や日程の面で考えてくれている。今はみんな体を張ってこれでもか、これでもかというぐらいハードな試合をしている。オカダ(カズチカ)なんか(6月の)大阪城で60分やってケロッとしてるもんな。すごいよ。それに毎年新人が入って新陳代謝が活発だよね。5年後にはもっと発展してるだろう。体を鍛え続けて50周年を見守りたい。

 

 現在はマット界の精神的支柱でもある。東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞授賞式では33年連続で乾杯の音頭を取るギネス級記録も継続中だ。

 

 坂口氏:ファンの皆様に支えられてここまで来ました。乾杯の音頭はもう天龍(源一郎)に譲ろうと思ったんだが…元気な限り、やっちゃるけん!

 

=敬称略=

 

【プロフィル】さかぐち・せいじ 1942年2月17日生まれ。福岡・久留米市出身。高校時代から柔道で活躍。明治大学卒業後、旭化成に入社し65年、全日本選手権優勝。67年に日本プロレス入門。73年に新日本プロに合流。UNヘビー級、北米タッグ、北米ヘビー級王座などを奪取し「世界の荒鷲」の異名を取る。89年6月、同社長に就任。会長、CEOを経て、現在は相談役。長男はプロレスラーの坂口征夫、次男は人気俳優の坂口憲二。