マット界の発展に尽力した極悪レフェリー・阿部四郎さんの素顔

2017年04月26日 16時30分

阿部さん(手前中央)はダンプ(左)、クレーン・ユウ(右)らの極悪同盟に加担した(1985年2月)

 全日本女子プロレスなどで「極悪レフェリー」として名をはせた阿部四郎さんが25日、肺炎のため死去した。76歳だった。ゼロワンが発表したもので、葬儀などの日程は未定。阿部さんは悪党軍に肩入れする不公平なジャッジで知られ、クラッシュギャルズの“怨敵”として1980年代のマット界を彩った。全女OGはもちろん邪道・大仁田厚(59)らゆかりの関係者からは、その人柄を惜しむ声が続出。裏方としてマット界の発展に尽力した極悪レフェリーの素顔とは――。

 関係者によると、阿部さんは1月29日に東京・東村山市内の自宅で倒れ、発見した家族によって都内の病院に搬送された。病名はこれまでにも患ったことがある心原性脳塞栓症だった。一命はとりとめたものの、半身不随の後遺症が残り、会話ができない状況だったという。先週、別の病院に移ろうとした際に体調が急変。25日の午前11時59分、肺炎により帰らぬ人になった。

 福島県出身の阿部さんは1980年代の全日本女子プロレスで、ダンプ松本(56)率いる「極悪同盟」などの悪党軍に肩入れ。当時、大人気だったクラッシュギャルズ(長与千種、ライオネス飛鳥組)に対して不公平なジャッジを連発し、マット界で一躍話題の人になった。

 本業はプロレス興行や歌手の公演を手がける「大和プロダクション」のプロモーターで、演歌の大御所・北島三郎(80)からもかわいがられる存在だったという。リング上ではファンのヒートを買っていたが、その素顔は全くの別人だった。ダンプが「優しくて、人柄は最高だった」と明かすように、選手からはその人柄を愛された。

 同じ極悪同盟だったブル中野(49)も「プロに徹し、裏と表が区切られていた。阿部さんに年賀状を書くと、新人の私でも1月の開幕戦でお年玉に1万円をくれた。本当に優しい方でした」と声を詰まらせた。2~3か月に1回はブルが経営する小料理屋を訪れては、大好きな「しその焼酎」をたしなんだという。

“宿敵”だった長与は「同じ時代を生きた方で、言葉にできません…」とショックのあまり絶句。全女の消滅後も交流があったダンプは、ゴールデンウイーク明けにお見舞いに訪れる予定だったという。

 女子プロレス界だけではない。大仁田は89年に旗揚げしたFMWの初期、大会をプロモートしてもらったことが縁で交友が続いた。昨年までは阿部さんが手がけた興行に出場すると、昔話に花を咲かせた。その際、阿部さんは「立川で電流爆破マッチをやりたい」と語り、邪道の引退ツアーの一環で開催することを夢見ていたという。「プロレスが好きで、裏方から愛してくれた人だった」(大仁田)

 くしくも大仁田や全女出身のアジャ・コング(46)が出場した23日のゼロワン福島・いわき大会は、阿部さんの興行会社が手がけたものだった。一方で別の関係者によると、興行主という立場の阿部さんはよく言えば職人気質で、主催者の団体側と金銭トラブルが生じたこともあったという。

 ゼロワンでは大和プロが手がける5月28日の茨城・古河大会を阿部さんの追悼興行にする方針で、大仁田も追悼大会を計画している。近年でもバラエティー番組への出演などで現役レスラーに匹敵する世間的知名度を誇った阿部さん。「全女の極悪レフェリー」は永遠にプロレスファンの記憶に刻まれることになる。