全日本プロレス、プロレスリング・ノアで活躍したプロレスラーの泉田純さん(リングネーム・泉田純太朗)が亡くなっていたことが7日、分かった。死因は心筋梗塞(こうそく)で、51歳だった。

 関係者によると、泉田さんは1月31日に神奈川・相模原市内の自宅で遺体で発見された。警察による検視の結果、死因は心筋梗塞で、死去したのは1月25日前後と推定されている。すでに遺体は荼毘(だび)に付され、親族のみの密葬が営まれた。

 この日、全日本プロレス、ノアで共に汗を流し、後輩だった全日本プロレスの秋山準社長(47)は本紙の取材に「まさかと思った。調子が良くないのは知っていたけど…。いろいろあったけど、俺の中ではお世話になった先輩だからね」と声を落とした。

 さらに「『最後に(古巣の)リングに上がりたい』と言っていた。本来なら元気な姿で上がってほしかったけど、最後くらいはリングに上がってもらいたい」と話し、12日の千葉大会で追悼の10カウントゴングを鳴らす方針を固めた。

 泉田さんは大相撲の東関部屋に入門すると、1986年春場所で初土俵を踏み、幕下まで進んだ。91年の引退後は全日本プロレスに入門し、92年5月25日の仙台大会でプロレスデビュー。コミカルな動きで会場を沸かせ、2000年には故三沢光晴さん(享年46)らとノアの旗揚げに参加した。09年暮れの退団後は、フリーとして活動していた。