【高田延彦統括本部長が告白する激動の人生「Road to RIZIN~出てこいや!~」15】 1997年10月11日、私はヒクソン・グレイシーと戦うため、東京ドームのリングに立っていました。

 しかし戦う前からヒクソンの「幻想」に圧倒されていたのです。だからなのか妙に冷静だった。リング上で「俺、今からこいつとやるんだよな」なんて思ったり…。本当はそんなこと絶対にいけないんだけど、オーラを感じました。黒光りしてつやつやしてヒョウみたいだった。

 戦う前からそんな感じでしたから、試合が始まったらもう…。試合直前に呼んだ(練習パートナーの)セルジオ・ルイスから「殴るな」「蹴るな」「組むな」「寝るな」と言われたこともあって、自分から間合いを詰めることができず、最終的にああいう結果に終わった(1R4分47秒、腕ひしぎ十字固めで敗戦)。

 その後は連載の最初に話したように2~3か月ほど自堕落な生活を送ったんですが、主催者側から再戦するお話をいただいて、もう一度前を向くことができました。

 再戦に向けて一番変えたかったのは精神状態です。最初の時のように戦う前から圧倒されて消極的な気持ちでリングに上がることだけは、絶対にやめたかった。まず「練習場を作らないといけない」となって立ち上げたのが高田道場です。

 ヒクソンについては「こんなおっさん、興味ねえ。リングに上がって、ゴングが鳴ったら目を合わせればいい」と考えるようにして準備を進めました。とにかく自分のことだけを考えて、食事も生活スタイルも練習も以前に戻して…。精神状態を「戦いたくて仕方がない」という状態に持っていくことだけに集中しました。

 そこは思う通りに運んだ。「PRIDE・4」(98年10月11日、東京ドーム)は心地よく当日を迎えられました。ただ一朝一夕であのレベルにはなかなか…(1R9分30秒、腕ひしぎ逆十字固めで敗戦)。

 ヒクソンと2回戦って分かったことは「強い」の上に「達人」の領域があることです。彼の場合、その達人の域なんでしょう。私は2回とも腕十字で負けたわけですが、あの体勢から腕十字が来るというのは百も二百も三百も承知だった。そこで「ニュルッ」と持っていく“肌感”というかタイミング、スピード、柔らかさ、呼吸。そういうものを特に2回目で感じました。「居合」のようなイメージと表現すればいいのかな。

 そんなヒクソンと、今ではRIZINで顔を合わせています。同じイベントの空間にいて、格闘技をともに盛り上げているというのが何よりうれしい。ヒクソンも、息子(クロン)のことになるとやっぱり親父の顔になるから面白いですよね(笑い)。