【高田延彦統括本部長が告白する激動の人生「Road to RIZIN~出てこいや!~」6】とにかく中学を卒業したら、すぐに新日本プロレスに入りたかった。でも体重が足りない。だから「とにかく筋肉をつけて体重を増やして、卒業までに間に合わせよう」と、それしか考えなかったですね。

 中学2年生の時に進路を決めてからは、何も迷いませんでした。同級生がみんな高校進学で悩む中、私は新日本にたどり着くことしか考えなかった。だからそのための行動を起こした時、周りがどんな目で自分を見るのかなんて、まったく気にならなかったんです。

 まずは朝、同級生たちが登校する時間にランニング。それから団地の中庭や公園でヒンズースクワットなどの基礎トレーニングです。ついこの間まであいさつをよくする「いい子」だった私が、ですよ。でも「きっと変なヤツに見えるだろうなあ」とか思い浮かばなかった。もっと言えば「どう見られようと関係ないや」という思いすらなかった。ただ気持ちよかった。周りの景色が何も入ってきませんでした。

 今考えると奇跡だと思います。本来、周囲の目を気にする性分の私が一切そんなことを気にせずに、平日の昼間から木を殴ってるんです。厳密にいえば器物破損ですね(笑い)。でも木の揺れが日に日に激しくなるのが気持ち良くて。こぶしから血が流れてくるのを見ながらニヤリと笑ったり…。そこまで思い込めたのは、いろんな歯車が合って、そういう精神状態になったんでしょう。

 もし自分の息子が同じことを始めたら「やめろ」と言います。「ジムに行け」とか「学校から帰ってからやれ」とか、やり方はいろいろありますから。でも当時の私にはそれを言ってくれる人が周りにいなかった。勝手に自分にとって一番正しい道だと思っていた。究極の勘違いをしたんだと思いますね。「レスラーになる」「新日本に必ず入る」という勘違い。そういう精神状態は、その後も含めて生涯に1度しかなかったです。

 さらに幸運だったのは当時の担任が、なぜかすぐには親に連絡しなかったことです。普通は3日も無断で休めば家に来るじゃないですか。「息子さんは学校に来ないで、木を殴っているらしいじゃないですか」とか「昼間から外でゴロンゴロン受け身を取ってるらしいじゃないですか」って。それが私の担任はなかなか家に来なかった。

 それでも半年くらいたってとうとう担任が家に来て、親父にばれました。担任と玄関で立ち話して、そこで初めて親父に「レスラーになる。だからもう学校も行かない」と伝えました。親父はなんとなく察していたのか、半分諦めていたのか「受けるのは1回だけにしろよ」と条件付きで認めてくれました。そして私はそのまま、入団テスト合格のためにトレーニングを続けました。