猪木氏が永源さん追悼コメント 1か月前に会食「本当に元気が良かった」

2016年11月29日 18時18分

パキスタンで行われたペールワン戦に勝利した猪木氏(左から2人目)にセコンドも大興奮。左が永源さん。右から小沢正志(キラー・カーン)、藤原喜明

 28日に急死した永源遥さん(享年70)がプロレスラーのキャリアを始めたのは、1966年にアントニオ猪木氏(73=参議院議員)をエースとして旗揚げされた東京プロレスだった。

 

 猪木氏にとっては、いわば最初の“弟子”で50年の付き合いになる。猪木氏は「サウナの中で死んじゃったの? みんなしようがない。オレたちの仲間は体を酷使している。スポーツということ以上にね」と達観した様子で語った。

 

 永源さんは猪木氏が後に設立した新日本プロレスにも参加。「レスラーでも型破りの営業ができた。なかなかレスラーでもそんなにいない。当時の新日本の裏のほうでも動いてくれた。相撲時代のタニマチの関係もあった」。永源さんは“営業部員”としても実力は抜きん出ていたという。

 

 1976年12月に行われた新日プロのパキスタン遠征にも同行。猪木氏が地元の英雄アクラム・ペールワンの腕をへし折った伝説の一戦(同12月12日)にもセコンドとして“参戦”した。

 

 永源さんはその後、ジャパンプロレスに移籍し全日本プロレス、ノアと渡り歩いたが、猪木氏との“師弟関係”は続いた。1か月前にも会ったばかりといい「共通の友達がいて、何回か銀座でもメシを食った。本当に元気が良かったから、会うと昔の話になって『いや~(あのころは)良かったですね』って言ってましたよ。謹んでご冥福をお祈りします」と故人をしのんだ。