元プロレスラーの永源遙(えいげん・はるか、本名同じ)さんが28日に急死した。死因は不明。70歳だった。永源さんは1966年のプロレスデビューから6団体を渡り歩き、ファンから「名脇役」として愛された。くしくも全日本プロレス時代の後輩だった故ハル薗田さん(本名・薗田一治=享年31)の命日にまた一人、プロレス界を代表するバイプレーヤーが旅立った。

 関係者によると、永源さんは28日午前に東京・有明のノア事務所を訪れ、午後1時半過ぎに帰宅の途に就いたという。いつもと変わらず元気な様子で、親しい知人には食事の誘いの電話を入れていた。容体が急変したのは夕方のこと。都内にある自宅近くのサウナ店で突然倒れ、救急車で三鷹市内の病院に緊急搬送された。

 死因は不明でその後、遺体は成城警察署に送られた。プロレスリング・ノア関係者は「亡くなったのは事実ですが、詳細は分かりません」。永源さんは人一倍、健康には気を使っており、周囲には「年に2回は人間ドックを受けている」と公言していた。また、特に持病があったという話も聞かれなかった。

 大相撲では「永源」のしこ名で15歳の時に初土俵を踏み、1965年に廃業。プロレスラーに転向し、東京プロレスに入団。66年10月12日の木村政雄(故ラッシャー木村さん)戦(蔵前国技館)でデビューした。その後は日本プロレス、新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレスと渡り歩き、2000年に旗揚げしたノアに移籍した。

 06年3月26日に故郷の石川・中能登町で引退試合を行った。引退後はノアの取締役や相談役などを務め、退社後も事務所や試合会場を訪れ、チケット販売や接客を手伝っていた。全日本時代には故大熊元司さん、渕正信らと「悪役商会」を結成し、故ジャイアント馬場さんが中心となった「ファミリー軍団」との対決で前座を盛り上げた。またピンクのタイツがトレードマークで、ツバ攻撃などのコミカルなファイトが持ち味だった。

 91年4月のデビュー以来、公私ともに世話になった井上雅央(46)は「信じられませんでした…。小さいことを気にしない、昔ながらのレスラーでした。引退試合で試合をさせてもらい、最後に勝ったのが一番の思い出です。ご冥福をお祈りいたします」と話した。

 その人柄から各界に豊富な人脈があり、結婚式の仲人は同郷の森喜朗元首相(79)が務め、06年の引退パーティーには俳優の渡哲也(74)も出席した。希代の名脇役として活躍し、誰からも愛された永源さん。その思い出は永遠にプロレスファンの記憶に残ることになる。