“Uの申し子”が邪道を粉砕した。超花火プロレス「なにわ超花火」(24日、エディオンアリーナ大阪第2競技場)で行われた爆破王選手権は、船木誠勝(47)が王者の大仁田厚(58)を撃破して第5代王者となった。総合格闘技の先駆者として一時代を築いた男がたどりついたのは、対極に位置する電流爆破マットの頂点。決戦までは家族にも大きな葛藤があったという。妻のいづみさん(41)がその舞台裏を激白した。

 3本の電流爆破バットと有刺鉄線電流爆破ボードが用意された“死のリング”に、UWFの入場テーマ曲に乗って登場した船木。場内の興奮はピークに達した。迷うことなくTシャツを脱ぎ捨てると、鍛え抜かれた肉体をさらけ出す。先に仕掛けたのは大仁田だ。開始2分で爆破バットを一閃。だが船木はこれを寸前でかわし、コーナーポストで大爆発が起きた。

 その後は猛攻に苦しみながらも、爆破ボード目がけてホイップされたところを巧みに体を入れ替えて、逆に爆破させることに成功。ここからが圧巻だった。ハイブリッドブラスターで脳天から叩き落とした後、大仁田の背中に爆破バットをフルスイング。最後は腹部にトドメの一発をお見舞いし、初の電流爆破マットで一度も被弾することなく激勝を収めた。

 金色のベルトを掲げると感極まった表情で「本気を出せばUWFが一番強い!」と胸を張った船木。その様子を会場の片隅で見守っていたのがマネジャーも務めるいづみ夫人だった。実は電流爆破マットへの参戦オファーが来た際、息子のライアンくん(10)とともに猛反対したと明かす。

「マネジャーとして以前に、家族として心配でした。FMWさんの試合だったか(右腕に)すごい傷をつくってきた。見てビックリした矢先で、これが爆破だったらどうなるの?って。(今年から大阪市内にトレーニング)スタジオをオープンしているので、お客さまに迷惑をかけてしまうのでは?とか考えて」

 しかし船木は「絶対に(電流爆破には)当たらないから」と出場に意欲的だったという。いづみ夫人も「主人はそういう人。いつ何時、何があるか分からない人なので、そこに対してどう(気持ちを)消化するか、対応するのかが妻の役割だと思っている」と夫の意向を尊重することにした。

 献身的なサポートを始めたのは1999年までさかのぼる。船木は翌2000年5月26日の「コロシアム2000」(東京ドーム)で“400戦無敗の男”ヒクソン・グレイシー(56)との対戦が決まっており、この時、2人は交際中だった。まさに“臨戦態勢”にあったわけだ。「死ぬかもしれない。でも付き合いしたてで死んだら、離れ離れになってしまうと考えた時『入籍するしかないね』となった」(いづみ夫人)との理由で99年11月1日、入籍に至った。

 当時と状況は違うものの、命を張って決戦に臨んだという姿勢に変わりはない。「ところどころ真剣になる時に『ああ!』という感覚はありますね」と、今回の一戦に向かう夫の背中には、ヒクソン戦と似た空気を感じていたという。

 船木は試合後「生き延びたければ当たらなければいい。そうやって相手を攻撃して生きていく」と王者として新たな誓いを立てた。愛妻に支えられ、死すら覚悟して臨んだ電流爆破マットで手中にした異次元のベルト。永遠に手放すつもりはない。