船木誠勝(47)が24日、超花火プロレス「なにわ超花火」(エディオンアリーナ大阪第2競技場)で爆破王者・大仁田厚(58)を撃破。自身初の電流爆破マッチで第5代王者に輝いた。

「3WAYバット有刺鉄線ボード電流爆破デスマッチ」方式で行われた一戦は予想外の展開になった。3本の電流爆破バットと有刺鉄線電流爆破ボードが公認凶器とされる“死のリング”に、UWFの入場テーマ曲に乗って登場した船木。迷うことなくTシャツを脱ぎ捨て、鍛え抜かれた肉体をむき出しにした。

 先に仕掛けたのは大仁田た。ゴング前に邪道ジャンパーを投げ捨てて襲うと、場外戦に。さらにリングに戻った船木の顔面に毒霧を噴射し、主導権を握った。そして2分過ぎ。最初に起爆スイッチを入れると、コーナーの船木めがけて一閃。だが間一髪でかわされ、コーナーポストで大爆発を起こした。

 一方、船木は机上へのパイルドライバー、イス、机の破片での攻撃といった邪道スタイルに苦しみながらもジッと耐える。そして5分過ぎ、爆破ボードめがけて投げられそうになった際、体を入れ替えて大仁田を押し込み、ようやく爆破させることに成功した。

 ここからは圧巻だった。必殺のハイブリッドブラスターをはさみ、背中に電流爆破バットをフルスイング。最後は腹部に命中させ、一度も被弾することなく勝利を収めた。金色の爆破王ベルトを掲げた船木には試合後、田中将斗(43)、TARU(51)、NOSAWA論外(39)の3人が挑戦を表明した。

 4月から超戦闘プロレスFMWマットで開戦した大仁田率いる「FMW」と船木を中心とした「UWF」の抗争は、FMW軍が3連勝。だが事実上の大将戦となったこの試合で、キッチリ結果を残した船木は「今まで負けましたが、本気出せばUWFが一番強い!」と豪語。また挑戦に名乗りを上げた3人に「3人で決着をつけて出てきてください。個人的にやりたいのは田中選手」と通告した。

 1985年3月3日の新日本プロレス茨城大会(対後藤達俊)では、当時の史上最年少記録となる15歳11か月でデビューを飾った船木はその後、UWF、藤原組、パンクラスで中心選手として活躍。2000年5月26日の「コロシアム2000」(東京ドーム)では“400戦無敗の男”として当時世界最強と称されたヒクソン・グレイシー(56)との対戦を実現させた。

 ヒクソン戦の敗戦を機に一度は現役を引退するが、07年大みそかに現役復帰すると総合格闘技を経てプロレスのリングにも復帰。全日本プロレスでは3冠ヘビー級王座を巻いた。まさに大仁田とは対極の道を歩んできた男が、初挑戦で電流爆破の頂点に立った。

「1発当たったらおしまいだと思ってやった。だから当たらない。生き延びたければ当たらなければいい。そうやって相手を攻撃して生きていきますので」。船木が邪道マットをけん引する。