米プロレス団体「WWE」で活躍した元女子プロレスラー、チャイナ(ジョーニー・ローラー)さんが死去したことが21日、分かった。45歳だった。現地時間20日に米ロサンゼルスの自宅で亡くなっていたところを発見された。現役時代は男性顔負けの筋肉美とパワフルなファイトで人気を博し、日本では2002年に蝶野正洋(52)とも一騎打ちした。一時代を築いた「ディーバ」だったが、WWE退団後は順風満帆とはいかなかった。生前の“筋肉魔女”が本紙に語っていた胸中を追悼公開――。

 CNNなどの報道によれば、20日にカリフォルニア州ロサンゼルスのレドンドビーチの自宅アパートで亡くなっているのを友人が発見した。チャイナさんと連絡が取れなくなったため友人が自宅を訪れたところ、ベッドの上で息を引き取っていた。地元警察が死因を調査中だという。

 チャイナさんは1995年にデビューし、97年にWWF(現WWE)入り。男性レスラーを相手に抗争を展開し、その強烈なキャラクターで一躍人気者となった。女子王座はもちろんのこと、女子初となるインターコンチネンタル王座も獲得。「世界9番目の不思議」とも称された。これはかつての名レスラー、大巨人アンドレ・ザ・ジャイアント(故人)が「世界8番目の不思議」と呼ばれたことで、大巨人級の衝撃をプロレス界に与えたという意味だった。

 WWE退団後の2002年には「ジョーニー・ローラー」として新日本プロレスに来日。蝶野と一騎打ちを行い、大きな話題を呼んだ。その後はプロレス界を引退しタレント、モデルとして活動。08年4月のIGF大阪大会には、WWE時代の「チャイナ」の名前に戻し立会人として参加した。

 この来日当時、チャイナさんが本紙に語ったところによると、前年の07年11月に本名も「ジョーン・マリー・ローラー」からリングネームだった「チャイナ」に変更。チャイナさんは「私には(本名の)ジョーニーよりチャイナのほうが大切なの」。実際、来日の際の入国書類に記された名前も本当に「チャイナ」になっていたという。

 一方で、古巣のWWEに関しての質問には「正直、いろいろつらいことがあって…」と言うと、突然目に涙を浮かべた。さらには「WWE(の番組)を見ると悲しくなるので見ていない」と話し、それ以上は口を開かなかった。

 WWE時代には、トップレスラーのトリプルH(46)と交際していたとされる。破局後、トリプルHはWWEビンス・マクマホン会長(70)の長女ステファニー・マクマホン(39)と結婚。ビンス会長の義息となり、現在はWWEマットの最高権力者にまで上り詰めた。チャイナさん自身もトリプルHの友人として知られるXパック(43)と婚約。新日プロには一緒に来日してアツアツぶりを見せつけたが、結局は破局した。

 そうしたなか、愛着があるとはいえ、WWE時代のリングネームである「チャイナ」として生き続けることには複雑な思いもあったようだ。

 それでも、チャイナさんはプロレスの世界に戻れたことがよほどうれしかったらしく、IGF総帥・アントニオ猪木氏(73=参議院議員)を「私を救ってくれた恩人」と持ち上げて笑顔を振りまいた。プロレス界の表も裏も経験した本物の「ディーバ」だった。

☆チャイナ=1970年12月27日、ニューヨーク州ロチェスター生まれ。WWFでは97年にD―ジェネレーションX(DX)のマネジャーとして登場。トリプルH、ショーン・マイケルズらとの名ユニットで大旋風を巻き起こした。2002年5月の新日本プロレス東京ドーム大会では佐々木健介、棚橋弘至組VSスタイナー・ブラザーズの特別レフェリーを務め、同年9月からレスラーとして新日本に参戦。蝶野戦後に引退し、11年にはTNAでプロレスに復帰したものの継続参戦はなかった。