引退・天龍独占手記「面白くて楽しいおなかいっぱいのプロレス人生だった」

2015年11月17日 06時00分

天龍は黄色い紙テープが舞う中でリングに別れを告げた

 ミスタープロレスが両国のリングで壮絶に散った。天龍源一郎(65)は15日、東京・両国国技館で新日本プロレスのIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ(28)と引退試合を行い17分27秒、激闘の末にレインメーカーで3カウントを奪われた。あらゆるプロスポーツ界で、65歳選手が現役王者と引退試合で戦った例は皆無。引退セレモニーで「本当に腹いっぱいのプロレス人生でした」と語り、完全燃焼して潔くリングを去った。波瀾万丈39年間のプロレス人生に終止符を打った不世出の名レスラーは本紙に独占手記を寄せ、その胸中を激白した。

【独占手記】国技館の天井を見上げたのはいつ以来だろうか。相撲に入り土俵ですっ転がされた13歳の時が最初だった。蔵前で初めてUNのベルトを取った時(1984年2月)は歓喜で天を仰いだ。両国のプロレスこけら落とし大会(1985年3月)では、ウォリアーズのラリアートを食らって天井を見たっけ。本当はオカダの体にかぶさり、3カウントを聞いてマットの色を目に刻み込みたかった。心から悔しい。それでも完全燃焼した。

 一度は引退を勧告された。腰の手術(2012年2月と3月)の後、復帰する気満々だった俺に、医者はこう告げた。「手術は成功です。でも次に悪くなったら手術以前の問題。車イスの生活になります」。意地でも復帰してやるコノヤロー! と心に決めた。あの天龍源一郎がケガや病気に負けてマットを去るのか――応援してくれたみんなにそう思われたくなかったからだ。

 しかしその後女房(まき代夫人=58)の病気が重なった。これ以上、悪くなったら、誰が面倒を見るのか。誰が誰を支えるのか。自分を鍛え直すエネルギーがあるなら、その気力と体力を家族に注ぐべきではないか。24時間プロレスラー天龍源一郎であり続け、やりたいことを全部やらせてもらった。今度は自分が女房に尽くす番ではないかと。そこで復帰への思いを考え直した。

 不思議なものだ。2月に引退を発表した時は思いもよらなかったが、4月にレボリューションの盟友・阿修羅原(享年68)が亡くなった。その後、ラグビー日本代表がW杯で南アフリカに勝つ大殊勲を挙げた。ニュースで五郎丸選手(歩=29、ヤマハ発動機)たちの活躍を聞くたび、ラグビー世界選抜だった原を思い出した。生きていたらあちこちからコメントを求められただろうなあと。大喜びで話す原の笑顔が目に浮かんだ。馬場さん、ジャンボ(鶴田)、三沢(光晴)、冬木(弘道)、原…。黄泉(よみ)の国へ先に旅立った人の思いも背負って今日のリングに上がったつもりだ。

 明日からどうするのか。想像もつかない。13歳で相撲界に入って52年間、朝早く目覚めると体を動かして汗を流す体質になっている。手術後は朝起きて「さあジョギングしよう!」と玄関を出るんだが、おぼつかない思いで歩いている自分がいた。理想と現実のギャップにジレンマを抱えていた。明日からはそういう危機感や焦燥感を感じる必要もない。千秋楽を迎えた時の解放感を思い出す。

 本当に面白くて楽しいおなかいっぱいのプロレス人生だった。最近は「ハンセンやブロディを相手に体を張ってきた天龍がお前らみたいなアンチャンに負けるわけないだろう!」という思いで戦っていた。無視することもできたのに、対戦を快諾してくれたオカダ選手には感謝の気持ちしかない。平成のプロレスを体感させてもらった。後悔はないが、青春の思い出を取り戻そうとアジアタッグを奪取した時(2004年5月)、横についてきた渕正信にスポットライトを浴びせたのは痛恨のミステークだったな…。

 人生の献立は立てられない。しかしオファーを受けた仕事は目一杯の気持ちでこなさなければ、次のステップには踏み出せない。それはプロレスと同じ。どんな場面でも手を抜くことはこれからも一生ない。「瞬間(いま)」を生き抜く姿勢は変わらない。女房は海と暖かい土地が好きなので、労をねぎらう意味でも南国を旅してみようか。もう安息の地は家庭しかない。希望を持って、嶋田家3人の新たな人生がスタートする。

 2015年11月15日、両国国技館。プロレスラー・天龍源一郎は完全燃焼しました。後悔はひとつもありません。39年間の応援、本当にありがとうございました。

(天龍源一郎)