
「日本を元気にする会」最高顧問のアントニオ猪木参院議員(72)が“プロレスラー出身の初の大臣”となった馳浩文部科学相(54)とのマル秘エピソードを披露した。
馳氏は、2020年東京五輪・パラリンピックの招致活動に最初から熱心に取り組んだ。所属する細田派は「わが派閥の入閣適任者の筆頭は馳さんしかいない!」と安倍晋三首相(61)に入閣要請をしていた。
猪木氏は「最近、馳君と会って話をしたんだ。そろそろ大臣になるだろうと思って本人に言ったら、やる気と自信を見せていた。昨日(6日)、ある人から馳君が入閣するという話を聞いた。寝て起きて入閣を知って『これは夢かな?』と思った。次に良かったなと…」と打ち明けた。猪木氏が1989年にスポーツ平和党を率いて出馬した際、馳氏は先頭に立ち、選挙戦をサポートした仲だという。
「馳君は当時、私の側について支えてくれた。私の闘う姿を見て政治家への転身を志したんじゃないかな。文科大臣として期待することは東京五輪・パラリンピックに向けて、国民に夢を与えて、青少年の精神の向上に尽力してもらいたい。前任者(下村博文氏)が五輪でゴタゴタして辞任したので、期待している」
プロレス界で2人は92年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会で対戦し、猪木氏が卍固めで勝利。それ以来となる“次のバトル”は国会に舞台を移すことになる。
「私は野党の立場。与党の馳君には『今からどんな技をかけるか楽しみにしていてくれ!』と言ってある。彼も『受けて立ちます!』と意気込んでいたよ」(猪木氏)
馳氏は「プロレスラーであったことは私の誇りです。プロレスファンには本当に感謝している。師匠(猪木氏)の温かい言葉ですから、胸に刻んで(公務に)取り組んでまいります」と語った。
日本レスリング協会・福田富昭会長も「彼とはロス五輪で(レスリング日本代表の)監督と選手からの関係。新日本プロレスに入った後も応援していた。頭が良くて、行動力、発言力、発信力がある。協会の誇りだ。朝、彼と電話で『教育、スポーツ、文化をしっかりやってほしい』と話した。彼なら立派な大臣になる」と期待している。