【お宝写真館】7月17日は“超獣”ことブルーザー・ブロディ(享年42)の命日にあたる。プエルトリコで不慮の死を遂げてから今年で27年。写真は全盛期のブロディが必殺のキングコングニードロップを決めている瞬間だ(1981年10月6日、宮城県スポーツセンター)。しかし相手はレスラーではなく“素人”。しかもドリー・ファンク・ジュニアの長男ディンクさん(当時20)だったから大騒動となった。

 この日、ドリーは弟のテリーと組み上田馬之助、バック・ロブレイ組と対戦。試合はファンクスが勝ったものの、最後にブロディが乱入。

 リングサイドで観戦していたディンクさんがリングに制止に入り、大乱闘に巻き込まれてしまった。

 当時のディンクさんはテキサスA&M大学に通う学生。旧知の仲とはいえど“素人”が手を出したことに超獣は激怒した。ボディーに蹴りをブチ込んで必殺のキングコングニー一撃。ディンクさんは口からゲホゲホと血を吐きマットで運ばれて退場し、救急病院に運ばれた。当時の本紙では次のように報じている。

「ブロディは『リングは神聖なもの。上がってくる者には容赦しない。それがプロレスなんだ』とリング上の“治外法権”を主張した。一方、息子を血祭りに上げられたジュニアは『絶対に許せん! 9日は息子の敵討ち。ブロディを殺してやる』と狂ったように叫び誰も近づけない。9日、蔵前国技館のインターナショナル戦は王者・ジュニアの“敵討ちマッチ”の様相を呈してきた」

 確かに一理ある…。ディンクさんは病院で治療を受けた後に深夜列車で帰京。翌7日には緊急帰国した。9日の蔵前大会ではドリーが大暴走して反則負け。王座から転落してしまった。

 ブロディはこの7年後にプエルトリコで刺殺され、74歳のドリーは今でも現役バリバリ。ディンクさんはプロレスに進むことなく大学を卒業後、なんと医師になった。2010年にはその息子(ドリーの孫)が「ドリー・ファンク4世」としてプロレスデビューを果たしている。