マスカラスを“絞殺”!G小鹿が一番輝いていた頃

2015年05月24日 16時00分

マスカラスを失神させ、憎々しい表情で勝利をアピールする小鹿(左)

【お宝写真館】日本現役最高齢レスラーのグレート小鹿・大日本プロレス会長は4月28日に73歳の誕生日を迎えた。ギネス申請ももくろんでいる小鹿が一番輝いていた時期はいつか?

 

 極道コンビのアジアタッグ王者時代も捨てがたいが、“仮面貴族”ミル・マスカラスとの抗争がピークを迎えた米国遠征時の1969年だろう。写真は同年10月24日、ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムでマスカラスのNWA認定USヘビー級王座に挑戦。反則負けを喫しながら、ロスの英雄を絞め落として大ブーイングを浴びる小鹿の姿だ。

 

 小鹿は67年9月に大熊元司との極道コンビで米国に遠征。南部地区を中心に活躍していたが、69年に大熊が帰国するとフロリダ、デトロイトを経てロスに転戦。仮面貴族との抗争がスタートした。当時のマスカラスはヒスパニック系米国人の多いロスで英雄的存在だった。

 

 同年12月10日付の本紙では「ロス中の憎しみをかう男・小鹿の悪党殺法を斬る」との特集記事が組まれ「天井知らずの勢いの小鹿は塩攻め、水攻め、目潰し、窒息攻撃とあらゆる拷問殺法で強豪をキリキリ舞いさせている」と解説している(注・基本的に攻撃パターンは今も変わらない)。憎まれっぷりもハンパではなく「会場では殺意すら感じ、街全体から憎まれていた」(小鹿)。ファンの仕返しを恐れた日系人の経営するレストランでは入店も断られるほどだった。

 

 決着戦として両雄は同年12月19日、金網デスマッチ(60分3本勝負)で激突。メーンはジャイアント馬場対フリッツ・フォン・エリックのインターナショナル戦。謎の日系レスラーを従えた小鹿はアトミックドロップで先制されるとバックドロップでタイに持ち込む。3本目はセコンドに加勢させての汚いボディースラムで3カウント奪取。カリフォルニアTV王座、NWA認定USタッグ王座(パートナーはドン・カーソン)、そしてUS王座を合わせ、何とロス地区3冠王に輝いた。

 

「馬場さんのセコンドをやりたかったが私は人気がないし、マイナスになると思ってやめた。これで3冠王。どのベルトも必死になって守ってみせますよ」と泣かせるセリフを吐いている。ベルトは翌年1月、ザ・ロックの父親であるロッキー・ジョンソンに奪われるのだが、金網戦を機に小鹿は米国での悪党としての地位を不動のものとした。