阿修羅原さん 関係者が明かした壮絶闘病秘話

2015年04月30日 16時00分

原さん(右)が盟友・天龍(左)と組んだ「龍原砲」は多くのファンに支持された

 肺炎のため28日に68歳で亡くなった元プロレスラーで元ラグビー日本代表の阿修羅原さん(本名・原進)の通夜が29日、故郷の長崎・諫早市でしめやかに営まれ、ファンやラグビー関係者など約160人が参列した。

 原さんがほほ笑む遺影は、約3年前に妹(喪主の山田咲子さん)の子供の結婚式で撮影されたもの。「安らかなお顔だった。ひつぎには背広が入れられていた。全盛期には届かないが、それでも体重は80キロあったそうだ」(地元関係者)。ひつぎは長さ2メートルだった。

 盟友の天龍源一郎(65)は嶋田紋奈・天龍プロジェクト代表が「馬場さん、三沢さんがお亡くなりになられた時もそうでしたが(天龍は)何も申し上げないことが、お亡くなりになられた方への一番の供養と考えているようです」とのコメントを発表しており、姿を見せなかったが、祭壇の最上部に「天龍同盟」「龍原砲」とそれぞれ天龍の名前で献花があった。プロレス界の有名人だけでなく、親交の深かった落語家三遊亭円楽(65)の花も届けられていた。

 前出の関係者は「入院は1~2年続いたと思う。ご飯が食べられず、排尿もままならない状態だったと聞いた」と心筋梗塞を患っていた晩年の様子を明かす。原さんがプロレスやラグビーで活躍していた写真や雑誌記事なども、遺族からの提供を受けて会場に飾られた。

 元ラグビー日本代表からプロレス入りした原さんは天龍との名コンビで一時代を築いたが、引退後はプロレス界と疎遠になっていた。原さんと親しかったプロレスライターの小佐野景浩氏(53)によれば、天龍が2010年4月に天龍プロジェクトを旗揚げした際には現役復帰に向けてトレーニングを開始。さすがに肉体が悲鳴を上げてリングに上がることはかなわなかったが、天龍への思いだけは最後まで変わることはなかった。