「怪傑ゾロ」は「スーパーマン」や「スパイダーマン」より早く、1910年代に米国の小説から誕生したヒーローだ。そのゾロを名乗った覆面男がターザン・ゾロだった。

 マスクは最小限の穴しか開いておらず、深海魚のような風貌は不気味だが実力は一流だった。初来日は66年の日本プロレス11~12月の「ウインターシリーズ」。しかも参戦決定時から正体が明かされる異例の来日となった。

 主役は注目の初来日となる“鉄の爪”ことフリッツ・フォン・エリックで、史上初めて日本武道館にプロレスが進出する馬場対エリックのインター王座戦(12月3日)が話題となっていたが、ゾロも「まだ見ぬ強豪」の一人とされた。11月6日付本紙は通信員が1面でゾロの謎を明かしている。

「195センチ116キロの体は鋼鉄のように引き締まり、逆三角形の肉体はヘラクレスのよう。ゾロの本名はハンス・モーティア。ニューヨークのMS・Gでは覆面の着用が認められておらず、黄金色のヘルメットをかぶり暴れている」

 当時のMS・Gは覆面の着用が許されなかった。とはいえ来日前に本名を公開されたマスクマンなど聞いたことがない。さらには3年前に素顔でMS・Gに登場して、当時のWWWF(現WWE)王者ブルーノ・サンマルチノと1―1で引き分けた実力者として紹介されている。

 ゾロは12月1日名古屋でエリックのパートナーとしてジャイアント馬場、吉村道明組のインタータッグ王座に挑戦して1―1から時間切れ引き分け。その後アジア王座決定戦では惜敗。最終戦では大木金太郎の極東ヘビー級王座に挑み、0―2で敗れるも大健闘した。1シリーズに3タイトル挑戦と評価は高かった。

 12月12日にはちょっとした“事件”が起きる。日本テレビ系「底ぬけ脱線ゲーム」で、外国人勢の「脱線チーム」と、馬場率いる「底ぬけチーム」がゲームで対戦したのだ。馬場組が3対2で勝利したが「馬場を殺す」と怪気炎を上げていた外国人勢が、ゲームに興じるのも昭和ならではのおおらかさだった。それにしてもヤシの実割りで風船を割ろうとする馬場は実に楽しそうだ…。さすがにこの模様はシリーズ最終戦(12月23日)後の年末特別番組で放送された。

 ゾロは帰国後、素顔で69年にドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦。71年9月、ドクター・Xとして国際プロレスに来日したのが最後となった。 (敬称略)