今回はある意味、真打ち的な覆面レスラーの登場だ。米国で終戦直後から1960年代に活躍。61年に初来日して爆発的ブームを巻き起こした“シマ馬小僧”ことゼブラ・キッドだ。

 覆面姿はおどろおどろしい怪奇派だが、ファイトやファンの受け取り方はごく正統で、米国はもちろん日本全国にシマ馬ブームを巻き起こした。まだ日本では覆面どころか外国人選手すら珍しかった時代だ。米国では当時のNWA世界ヘビー級王者の鉄人ルー・テーズと6度引き分けた実力の持ち主だった。

 キッドは61年に力道山のインターナショナルヘビー級王座に挑戦(11月7日大阪)するため8月シリーズから初来日。通常マスクマンは全てが謎に包まれているのだが、この男はスケールが違った。王座戦前に本紙で「シマ馬決戦録・わが半生の記」を連載。克明に自分の人生を語ったのだ。連載は王座戦後の11月18日付紙面まで実に74回も続いた。

「私の父母はギリシャから移住した正教徒でギリシャ料理店を経営していた。私はオハイオ州立大学で経済学を学び、レスリングとフットボールに熱情の全てを傾けた。しかし46年に父が食道がんの宣告を受け、後を追うように母が胃がんに倒れた。母の代わりに店を切り盛りしていた姉は肺結核で倒れた。神は我々を見放したのか…。私は世の中の全てを呪った」

 ここまで赤裸々に自らのルーツを語った覆面男は皆無だ。覆面の意味は何なのかとも考えさせられてしまう深い連載である。結局、王座戦は2―0で力道山が防衛。大流血のキッドは覆面をはがされて素顔(ジョージ・ボラス)をさらした。

 手記の最終回では夫人と息子の写真まで公開し「私はリキや日本のファンを終生忘れないだろう。幸福で一杯だ」と最後まで紳士的に語っている。「覆面かぶって尻隠さず」を地で行く人徳者だった。

 結局、来日はこの1回のみに終わり、その後は多くの「ゼブラ・キッド」を名乗る覆面レスラーが登場したが、誰も本家を超えられなかった。まさに一時代を築いた名覆面男だった。(敬称略)