全日本プロレスの未来を預けます――十七回忌を終えた故ジャイアント馬場さん(享年61)の夫人・元子さん(75)が、秋山準全日本プロレス社長(45)に改めて王道マットの再建を託した。命日の1月31日に東京・後楽園ホールで行われた「十七回忌追善興行」は秋山体制発足後、後楽園大会最多となる1711人(超満員)を記録。全盛期のムードを取り戻し始めた秋山全日本を、相談役でもある元子さんはどう見るのか。その胸中を直撃した。

 ――今年は馬場さんのデビュー55周年、32文ロケット砲が日本で初公開(1965年3月)されて50周年になります

 元子さん:(写真を手に)すごいバランスが取れてキレイだね。馬場さん、鳥みたい。

 ――十七回忌興行は往年のムードも戻って大成功でした

 元子さん:今回はチケットの裏に自分で一枚一枚「Forever」というハンコ(検印)を押しました。今回来てくれた方がもう一度、会場に来てくれるように思いを込めて。古い考えかもしれないけど、そういう気持ちは大事だと思います。

 ――昔のファンが戻ってきた感もあった

 元子さん:大会の雰囲気を若い人たちがどう感じてくれたのか。それがすべて良いとは思わないけれど、これをどう次につなげるかでしょうね。

 ――昨年7月に秋山社長が誕生。相当な覚悟を決めての就任でした

 元子さん:いろいろあったけど彼ならできると直感的に思った。全日本を預けるなら彼しかいないと。馬場さんが直接教えた最後の人ですから。直接、実家まで行ってご両親にあいさつした人は数えるほどしかいない。

 ――元子さんがここまで重い意味で後継者に指名した選手は初めてです

 元子さん:責任感もある。頭の回転も速い。秋山君なら馬場さんの全日本をそのまま後継してくれるだろうと。(後援者に)「あなたは頭を下げられる?」と聞いたら「お願いに上がる時はちゃんと頭を下げます」と答えてくれたので大丈夫かなと。髪の毛はなくなっちゃったけどね(笑い)。

 ――十七回忌の「偲ぶ会」(ザ・キャピトルホテル東急)では「24年前に初めて馬場さんにお会いしたのがこのホテルだった」と本人も感慨深げだった

 元子さん:秋山君には厳しかった。試合前の練習も、馬場さんは秋山君だけ長く教えていた。その当時は「何で俺ばっかり…」とプーッとふくれていましたけど「今になって分かりました」と言ってましたよ(笑い)。

 ――十七回忌前にも昨年は10月の3大会(22日後楽園、25日新潟・三条、29日山形)を観戦に訪れた

 元子さん:会場であんなにテーブルを並べて選手が売店に立っていちゃいけません。悪役の人でもサイン会をやってるんで驚きました。選手はチャラチャラとしちゃいけない。自分の価値を下げてしまう。自分を表現するのはリング上だけでいいと思う。試合に専念してほしいなと。

 ――試合のスタイルも変わった

 元子さん:偉そうに言うわけじゃないけど、何年かかってもデビューできない人を何人も見てきました。今はすぐにリングに上がれちゃう。第1試合からメーンみたいなことをやっていて驚きました。基本を教える人がいないんでしょうね。

 ――それでも地道な努力で全日本は満員マークが増えてきた

 元子さん:その日、会場まで足を運んでプロレスを見に来てくれた方は、マイクやビジョンで昨日のことを言われても分からない。言葉は必要ないと思うんです。今は言葉に頼りすぎではないかなと。私がもしお金を払ってプロレスを見に行くならリング上だけを見たい。説明を受けながら見るものじゃないですよね。

 ――秋山社長もいろいろ考えている

 元子さん:今が一番大変な時なんじゃないですか。ここを乗り切ってオフィスに一本筋が通るようになれば大丈夫じゃないかと思う。

 ――馬場さんに関して十七回忌以降の予定は

 元子さん:次は何にしようかなあと考えてます。でも年に1回、小さなお茶会でもいいから皆さんが馬場さんを思い出せる場を作りたいですね。