フレアー初来日時は田舎の力自慢アンちゃん

2015年02月08日 16時00分

初来日を果たした24歳のフレアー

【東スポお宝写真館】

 

 若気の至りは誰にでもある。頭に剃り込みを入れたり、スカートの裾を長くしてみたり、酔った勢いで一気にコトに及んだり…。後先考えず間違った方向へ突っ走ってしまうのも、また若者の特権でもある。

 

 最近はレジェンドとしてWWEのリングに登場する“ネイチャー・ボーイ”または“狂乱の貴公子”こと元NWA世界ヘビー級王者リック・フレアー(65)にもそんな時期があった。写真は念願の初来日を果たし、本紙の取材に応じる当時24歳のフレアーである(1973年6月17日)。

 

 初来日は国際プロレス「ビッグ・サマー・シリーズ」(6月18日~7月15日)。当時人気者だったディック・マードックとダスティ・ローデスの「ジ・アウトローズ」の弟分として来日を果たした。本紙記事では「アウトローズは“テネシーの怪童”リック・フレアーを帯同して、殴り込みの態勢を完了した」としか書いていない。つまり完全にアウトローズのオマケだった。

 

 後年にトレードマークとなるキザ丸出しの長くウエーブのかかったブロンドヘアはどこにも見当たらない。黒茶の丸刈り頭、ややぽっちゃりした体形は、明らかにアウトローズに影響を受けている。米国の田舎にいがちな単なる力自慢の若者だ。この男が後に「Woo!」と奇声を発してリング上をセクシーに歩く世界王者(しかも16回)になるとは誰も思わなかったに違いない。

 

 開幕戦では松本勝三(後の大位山勝三)に反則負け。ラッシャー木村と金網マッチも行ったが敗れている。このシリーズはアウトローズがストロング小林、ラッシャー木村組のIWA世界タッグ王座(6月18日、千葉・市原)、ローデスが小林のIWA世界ヘビー級王座(6月19日、茨城・笠間)に挑戦する大会がヤマ場とされていた。しかも小林は、当時日本記録だったジャイアント馬場のインターナショナルヘビー級王座V21に並んでおり、新記録樹立がかかっていた。誰もフレアーに構ってる余裕などなかったのだ。

 

 結局、小林はローデスを退けV22に成功。その直後に木村が挑戦を表明し、7月9日の大阪府立体育会館大会でプロレス史上初となる日本人同士の世界戦(小林―木村戦)が実現した。フレアーは最終戦で寺西勇に負けてひっそり帰国。NWAミッドアトランティック地区で人気を得て2回目の来日(1978年4月、全日本プロレス)を果たすまで、5年の歳月を要した。