マサ斎藤にとって「最高の環境」だった刑務所

2015年01月18日 16時00分

「帰ってきたぜ!」と荷物を担いで刑務所の前でポーズを決める斎藤

【お宝写真館】早いもので名優・高倉健さんが亡くなって2か月が過ぎた。何度も再放送された「幸福の黄色いハンカチ」を見て涙した人は多いだろう。しかし同じ出所、さらには雪という絶好の“健さん的シチュエーション”にもかかわらず、この写真に愛や感動、寡黙な男の哀愁などはカケラも存在しない。ただ陽気だ。獄門鬼ことマサ斎藤が、1年半の刑期を終え、米国・ウィスコンシン州ホーキンスの刑務所から出所した時の一コマである(1986年12月2日)。

 

 斎藤は84年4月にケン・パテラ(ミュンヘン五輪重量挙げ米国代表)が起こした器物破損事件に巻き込まれ、警官隊と大乱闘。斎藤自身に罪はなかったものの、暴れっぷりがハンパではなかったため、パテラとともに逮捕され、1年6月の実刑を受けた。この結果、斎藤はレスラー仲間で男を上げることになる。

 

 普通ならここで落ち込むところだが、レスリング東京五輪代表でもある斎藤は、日本に比べればオープンかつ自由な米国の刑務所を「肉体改造には最高の環境」とプラスに考えたらしい。

 

 当時の記事を見ると「今112キロ。首も太くなった。毎日トレーニング、食う、寝る、の繰り返し。食事は栄養価が高くむしろ太るのが心配だった。毎朝卵6個、昼はハンバーグ、チキンだぜ。規則正しい生活で運動していたから、よりいい動きでリングに上がれそうだ」。そのまま脱獄してくれれば刑務官は泣いて喜んだだろう。しかも“獄門鬼”のニックネームまで手にするのだから、米国の刑務所さまさまである。

 

 この日からわずか3週間後の25日、AWAミネアポリス大会でリング復帰。その後「監獄固め」なる必殺技を使うようになる。「刑務所で考案した」という説明は当時、実に説得力があった。翌年3月には新日プロに来襲。アントニオ猪木のライバルとして10月には伝説の「巌流島の戦い」を実現させている。その後、数人のレスラーが刑務所のお世話になっているが、斎藤ほど「ムショ帰り」をプラスに転じさせた例は皆無である。