【東スポお宝写真館】覆面にレスリングシューズ、そして浴衣と珍妙な姿で少年ファンにサインをサービスするのはカリプス・ハリケーン。ちびっ子ファンの頭をなでているのは“ギリシャの黒鷲”ジョン・トロス。1968(昭和43)年5月19日、日本プロレスの四国巡業、香川・観音寺市琴弾八幡宮境内特設リング大会での一コマだ。

 戦後すぐにスタートした国民体育大会も全国を半巡したばかりの47年前、地方都市に体育館設備はまだ乏しく、春から秋にかけてのプロレス興行は、屋外会場で行われることも多かった。

 選手控室には屋外に張られた簡易テントなどを使用。いきおい、ちびっ子ファンとの交流も現在よりは密接となり、こうしたほほ笑ましい光景も多かった。

 日本国内、それも地方都市において“ガイジン”自体が珍しかった時代。覆面のベネズエラ人(ハリケーン)と優しいギリシャ人(トロス=実際はギリシャ系カナダ人)のサインは少年たちにとって、まさに珍品のお宝となったに違いない。

 試合前からファンサービスに努めた2人は、メーンイベントでジャイアント馬場、キム・イル(大木金太郎)組と3本勝負で対戦し、1対2のスコアで惜しくも敗戦。2人は「レフェリーがうるさすぎて実力を出せなかった」「馬場のキックは爪先でやってくる。あれは反則行為だ」と怒り心頭。

 翌日のオフは翌々日の高知大会に向け、日本勢と外国勢が呉越同舟のバス移動を予定していたが、馬場やアントニオ猪木ら日本勢が先に乗り込んだバスを見たハリケーンとトロスは「あんなやつらと一緒に旅はできねえ」とバスへの同乗を断固拒否し、午前8時47分に観音寺駅発の急行第一南風号に乗り込んで鉄路にて高知入り。だが午後3時からは高知市内のデパートで、日本勢とともにサイン会に出席。南国ムードと緊迫ムードがブレンドされて漂う中、サインペンを走らせた――。