英国の名門“蛇の穴”ことビリー・ライレー・ジムは多くの名選手を輩出した。中でも“神様”ことカール・ゴッチと“人間風車”ことビル・ロビンソンは別格中の別格だろう。

 1924年生まれのゴッチと38年生まれのロビンソンは世代が異なるため接点は少なかったが、国際プロレス71年3月31日~5月25日の「第3回IWAワールド・シリーズ」でわずか5回だけ対戦が実現。いずれも時間切れ引き分けに終わっている。本紙の記事で歴史的な5試合を振り返ってみよう。

 当時、国際のエース外国人だったロビンソンだが、師匠格を自負する蛇の穴の大先輩ゴッチにも14歳年上の意地があった。公式戦(30分1本勝負=4月2日横浜)は時間切れ引き分け。「先生は生徒に全部教えているわけじゃない。それがプロというものだ」とゴッチは余裕の言葉を吐いている。

 同リーグ戦はロビンソン、ゴッチ、モンスター・ロシモフ(後のアンドレ・ザ・ジャイアント)が3強とされ、決勝リーグ戦(5月18日大田区)は3者による総当たりシングル戦(45分3本勝負)3試合が行われた。ゴッチは20分11秒、原爆固めで先制。2本目は4分12秒、ロビンソンがボディーシザースからブリッジのエビ固めでタイに。3本目は時間切れ引き分けに終わった。

 結局、3者のシングル戦はいずれも1―1の引き分け。持ち点数の多いロシモフが初優勝をかっさらってしまった。公式戦では大巨人がゴッチから疑惑の3カウントを奪っており、本紙は「漁夫の利ロシモフ初優勝」との見出しを立てている。

 公式戦以外の3試合はどうだったのか。2回目の対決となった4月24日大阪(45分3本勝負)では、ハイレベルな攻防の末、ロビンソンがゴッチのエルボー攻撃をかいくぐってバックを取り、腰にタックル。一瞬の切り返しで回転エビ固めで26分11秒、先制した。ゴッチも2本目、相手のパンチをかわして1本目同様に13分59秒、回転エビ固めでタイに。最後はロビンソンがコブラツイストを決めた瞬間に引き分けのゴングが鳴った。

 5月18日決勝戦の後は東北・北海道巡業に入り、4戦目と5戦目は北海道で実現した。5月23日の4戦目は何と北海道・北見市温根湯スポーツセンター。地元のファンはたまらなかっただろう。ちなみに本紙はリーグ戦が終了したため巡業に同行しておらず、結果だけが掲載されている(いずれも45分3本勝負)。

 この日はロビンソンが27分30秒、体固めで先制。ゴッチが5分50秒、原爆固めで反撃した後に時間切れとなった。そして最後の対戦はシリーズ最終戦の旭川市体育館。こちらもゴッチが26分45秒に卍固めで先制、ロビンソンが10分5秒、エビ固めで押さえ込んだ後、タイムアップとなった。歴史的な対戦の最後が日本列島最北の地・北海道という事実も感慨深い。

 翌年からゴッチは新日本プロレスの旗揚げに協力。ロビンソンは米国に進出したため、両者の対決は二度と実現することはなかった。5戦全戦引き分けという史実は有名だが、実はお互いに4回の勝利(フォール、ギブアップ)を奪っていたのだ。両者は勝敗以上のものを日本のファンに刻み込み、それぞれ別の道を歩むことになる。