〝邪道〟大仁田厚(63)が、2日にがんで死去した保坂秀樹さん(享年49)を追悼した。かつては死闘を繰り広げた対戦相手だったが、近年はタッグパートナーを務めてくれた天国の〝弟〟に邪道は何を思うのか――。


 ――どんな存在だった

 大仁田 そうだな、弟みたいだったよ。最初はFMWの時、W★INGから(故ミスター・ポーゴさん率いる)ポーゴ軍としてやってきたんだよ。俺のサンダーファイヤーパワーボムを一番食らった人間だった。

 ――病院送りにされたことも多かったと聞く

 大仁田 病院に行ったと思うよ。でも不思議なもんで、レスラーって技をきれいに受けてくれる人をリスペクトするんだよ。だから俺のサンダーファイヤーを毎日のように受ける保坂を見て「すごいやつだな」って思うようになった。もともとレスリングをやっていたから、いろいろと器用だったよ。

 ――長い付き合いだ

 大仁田 そのあと別々になって、7~8年くらい前かな。ゼロワン(超花火プロレス)でタッグを組むようになってからだよ。パートナーとして、いつも俺を引き立ててくれる存在だったから本当に感謝してるよ。

 ――一番の思い出は

 大仁田 (2017年8月に)アメリカに一緒に行った時かな。「電流爆破をやりたい」って、マット・トレモントの「CZW」から俺にオファーが来たんだけど「飛行機のランクを落としてもいいから、保坂も一緒に連れていっていいか」ってお願いしたんだ。そうしたらオッケーが出たんだけど、本当に俺のチケットがエコノミークラスに変更されてたよ。

 ――それだけ保坂さんを頼りにしていた

 大仁田 ちょうど(8月5日に米国で)保坂の誕生日を迎えたんだよ。それでアメリカ人の俺のファンの人がケーキを用意してくれてさ。あの時の保坂がさ、本当にうれしそうだった。いつものようにビールをかけつけで5杯飲んでね(笑い)。あの時の笑顔が今でも忘れられないんだ。

 ――タッグパートナーとしていつもサポートしてくれた

 大仁田 「僕はいつも大将を守ります」って言ってくれた。(19年9月に大阪で)藤原喜明さんと電流爆破で戦った時かな。身をていして俺を守ってくれて、自分から爆破に突っ込んでいった。そういうやつだったんだ。

 ――17年に保坂さんがアゴの骨折で欠場中、生活費を工面したと聞いた

 大仁田 レスラーって保障がないからね。そういう時もあったな。試合に復帰するまではって。それだけ保坂のことを大切に考えていたから

 ――最後に一緒に組んだのは19年7月13日の大仁田興行新木場大会だ

 大仁田 あの時、やせていたんだ。「大丈夫か?」と聞いたら「お酒をやめたんです」と言ってたけど、今思えば病を患っていたんだろうな。亡くなる1か月前に電話で話した時は、元気がない声だった。でも回復したらFMW―Eに上がってもらいたいと思っていた。いつもFMW―Eのことを気にかけてくれたみたいだから。

 ――7日には葬儀・告別式に参列した

 大仁田 家族葬だったんだけど、仲間が集まってくれた。すごくきれいな顔をしていたな。骨も納めさせてもらったけど、寂しいというか、まだ実感がない。別れじゃないような気がする。俺は7回引退して7回カムバックした男だけど、これからも保坂が俺たちに力をくれるのかなってね。