【長与千種連載5】地獄トレの2日目 まさかの「全員裸になれ」

2014年12月15日 12時00分

入門初日からハードな縄跳びが課せられた。表情にはあどけなさと戸惑いが残る
長与千種 レジェンドの告白(5)

 当時の全女道場と事務所は目黒の4階建てのビルの1階にあって、屋上にバラック建ての寮があった。風が吹けばすぐに吹き飛ぶようなトタン屋根。私は声を失った。考えていたのとはあまりにかけ離れた光景だったからだ。

 2段ベッドが入った四畳半が3間。あとは小さなキッチン、リビングに追いだき式の古いお風呂。父と母が身の回りのものを用意するために上京してくれ、私は布団を担いで階段を上った。規則で親は寮に入れない。私は4階の階段から手を振った。母が泣いている。初めて「本当にプロレスの世界に入るんだな」って実感した瞬間でした。

 待っていたのは地獄のようなトレーニングだった。同期には大森ゆかりさん、最初は宣伝カー担当に回されていたダンプ(松本)がいた。全部で7人。松永一家の次男・健司さん(※=全女を経営した松永一家の次男。元プロ柔拳選手。三男・高司氏は会長。「女子プロレスの父」と呼ばれた)がコーチ役で、ブリッジと受け身と股割りを徹底的にやらされた。練習用のリングはコンクリートの上に厚手のラバーが敷いてあるだけ。路上で受け身を取っているようなものだった。この時、生まれて初めて背中から全身にどす黒いあざができた。ブリッジのやり過ぎで終わった後は額を指で押さえてないと、頭が「カクン」って前に落ちるぐらい(笑い)。

 2日目の練習が終わってグッタリ動けなくなっていると健司さんが「全員裸になれ」と言う。裸ですよ。反論する間もなく、全員が上半身裸になってリング上にうつぶせになった。そうするとサロメチールを塗ってくれる。これが効くんだ、また(笑い)。向こうは商品としてしかこちらを見ていないわけですよ。本来なら多感なはずの15歳の私に、考える余裕などなかった。

 朝は6時に起きて道場から世田谷区の等々力までランニング。12~13キロはあったかな。戻るとすぐに縄跳び。昼にご飯を詰め込むと、午後2時からは押さえ込みと絞め技のみのスパーリングが夕方6時まで続いた。私は何度も練習生に落とされた。「参った」の仕方も分からないし教えてくれないから、本当に落ちるまでガマンするしかなかった。

 当時の寮はお米とトイレットペーパーだけは支給された。あとは自腹。今考えるとすごい話だけど(笑い)。だから全員仕送りしてもらっていた。私も入寮する時に両親から5万円を渡され、その後も母から仕送りしてもらっていた。1万円でどうひと月を乗り切るか。八百屋で野菜の切れ端を10円でもらい、あとはマヨネーズとタバスコ。そうすれば何とかご飯は食べられるじゃないですか。肉なんて買えない。月に一度、ケンタッキーフライドチキンを1個か2個買ってきて、細かく刻んでご飯に混ぜて食べるのが唯一のぜいたくでした。

 そんな生活と練習の合間には、電柱に貼るポスター作りの手伝いや、山のような雑用。これに耐えられて残った人間は強くなりますよ。当たり前だけど(笑い)。そうして皆が化け物みたいになっていく。

 入門からひと月がたったころ「プロテストを受けろ」と会社から命じられた。5月10日、大宮スケートセンター。初めて上がる試合用のマットは想像以上に軟らかかった。松永一家と先輩レスラーが見守る前で数人とブリッジやスパーリングをこなすと「合格」という声が上がった。私は10円玉を握り締め、会場の公衆電話から父と母に「受かったよ」とコレクトコールで伝えた。そう言うのが精一杯だった。プロレスラー・長与千種が誕生した日でした。