【プロレス蔵出し写真館】ずぶ濡れの長州、すべる選手たち…豪雨でも強行した昭和の屋外プロレス

2021年07月11日 10時00分

豪雨で水たまりのできたリングで木村(手前)の足を引っ張る長州(85年9月、大阪・松原市)
豪雨で水たまりのできたリングで木村(手前)の足を引っ張る長州(85年9月、大阪・松原市)

 6月14日に梅雨入りした東京は連日の雨予報。蒸し暑く、雨が降ったりやんだりの天気が続いている。

 夏になると屋外の試合が多かった昭和の時代は雨が天敵。梅雨が明けても台風や突然のゲリラ雷雨など、雨には悩まされた。地方のプロモーターは、500人から1000人、客入りが違うと語ってくれた。

 さて、中止や延期にならず、雨で試合が行われたときはレスラーも大変だ。  

 今から36年前の昭和60年(1985年)9月11日、全日本プロレスの大阪・松原市山崎パン工場前広場特設リング大会は、豪雨にもかかわらず試合が強行され、さながらウオーターデスマッチの様相を呈していた。

 写真は長州力、谷津嘉章、アニマル浜口VSラッシャー木村、鶴見五郎、剛竜馬の6人タッグマッチ。雨水がたまったリング上で木村の足を引っ張る長州。リング上の水たまりは尋常じゃなかった。 

 この日は、試合開始を告げるゴングと同時に降り出した集中豪雨が、まるでリング上だけを目がけて降っているかのような激しい雨となった。時折、バスタオルで吸い取っていたが、とても追いつかず本部席の机を持ち出し、机を横にしてかき出すほどだった。

 ほとんどのレスラーが足元を気にしながら戦ってはいたが、滑る選手が続出した。そのため、〝美獣〟ハーリー・レイス、ミグエル・ペレス・ジュニア、ティム・ホーナーの外国人勢、そして日本側も鶴見五郎、キラー・カーン、石川隆士(後の敬士)ははだしになってファイトした。

 傘を差して観戦できた観客もいたが、ほとんどは雨に打たれての観戦。カメラマンも当然、リングサイドで傘は差せないので、ズブ濡れ。カメラを必死に守りながらの撮影だった。

 そして、試合開始のゴングと同時に降り出した豪雨は、試合終了のゴングが鳴った午後8時35分に上がってしまうというオチがついたのだった。

 ある時、晴天を願って、てるてる坊主に顔を描いたのはジャンボ鶴田。88年7月25日、富山・婦中(現在は富山市)ショッピングセンター・パピ駐車場特設リング大会の試合前のことだった。

 前日24日の富山・上市ショッピングタウン・パル駐車場特設リング大会は、小雨が降り続いたため急きょ試合の順番が変更された。第3試合までは予定通り行ったが、第4試合からカードを組み替え、メインの鶴田、谷津、輪島大士VSスタン・ハンセン、テリー・ゴディ、ミッチ・スノー戦を先にした。以後はセミファイナル、本来の第7試合を行い、第5試合の高野俊二(後の拳磁)、高木功(後の嵐)VSザ・デストロイヤー、デビッド・サンマルチノ戦がこの日の〝メインイベント〟になった。これは逆取り(さかどり=プロレス業界用語)と呼ばれる、試合の順番を入れ替えメインイベントを先に行う方法。

 2日連続の雨降りに、ジャイアント馬場も「何とかならんのか、この雨は。おはらいにでも行って晴れにしてもらおうか」と嘆き節。ならばと、鶴田は誰かが作って持ってきたてるてる坊主に、似顔絵を描き控室の窓際につるした。その顔は宿敵・天龍源一郎そっくり。

 てるてる坊主の正式な使い方は、てるてる坊主に顔を先に描くのではなく、願いが叶ったら、顔を描き、感謝を込めて処分するというのが正しいようだ。 

 それでも、鶴田が似顔絵を描いた〝天龍坊主〟効果か、試合開始時間には雨はすっかり上がった(敬称略)。

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