【プロレス蔵出し写真館】6月30日、72才の〝組長〟藤原喜明がノアの後楽園ホール大会に登場した。

 メインの8人タッグで杉浦軍の「X」として現れ、存在感を存分に発揮。試合後、杉浦貴、桜庭和志、村上和成と4人で勝ち名乗りを受け、試合中に誤爆されたお返しに(?)村上には握手と見せかけ張り手を見舞うなど、らしさ全開だった。
 
 そんな藤原が32才、今から40年前の昭和56年(1981年)3月2日、新日本プロレス合宿所でのひとコマ。

 合宿所の、(今では懐かしい)ピンク公衆電話で、上半身裸で寝転がって電話中の斎藤弘幸(現ヒロ斎藤)の腹の上に乗っかる。 

 電話中だった斎藤は、思いのほか長電話になり途中から寝転んで話をしていた。東スポはこの日、創刊準備をしていたタブロイド判の写真グラフ誌「ザ・プロレス」の企画で合宿所を訪れていた。

 新人カメラマンが合宿所のいたるところを撮影していて、電話中の斎藤と、順番待ちで奥の階段に座っていた前田明(後の日明)にファインダーを向けていると、サービス精神旺盛な藤原が帰り際にカメラマンに目配せしたのだった。

 腹に乗られた斎藤は、一瞬反応したものの、かまわず話を続けていた。前田は笑顔で、その光景を眺めていた。このころの新日本の合宿所は、選手の数が多く、なにより雰囲気が明るく取材に行くのが楽しかった。

 さて、当時〝関節技の鬼〟と呼ばれていた藤原は、前座試合が常で、一部のマニアックなファンにしか知られてはいなかった。そんな藤原がブレークしたのは、今でも語り草の「雪の札幌テロ事件」だ。

 84年2月3日、札幌中島体育センターで藤波辰巳(現・辰爾)のWWFインターナショナルヘビー級王座に挑戦する長州力を、控室を出たところで藤原が鉄の棒(バールのようなもの)で襲撃した。流血した長州は何とかリングへ上がったものの、試合ができる状態ではなく、すぐさま無効試合が宣告された。

 怒りの藤波は雪が舞う中、外へ飛び出し「こんな会社辞めてやる!」と吐き捨てた。

 長州との遺恨が生まれた藤原はその後、〝テロリスト〟としてファンに認知され、メインイベンターの地位を手に入れた。

 藤原のノアへの継続参戦はあるのか? 杉浦はこう答えた。

「コンプライアンス的にどうか。会社が今クリーンなイメージだから」

 どうも微妙なようだ(敬称略)。