【今週の秘蔵フォト】1977年11月14日、日本武道館で、梶原一騎主催の「格闘技大戦争」が開催された。ベニー“ザ・ジェット”ユキーデ(米国)が岡尾国光に豪快なKO勝利を収めた直後の第6試合、一人のプロレスラーが登場する。新日本プロレスの佐山聡だ。

 グローブを着用し、プロレスのショートタイツにはだしというスタイルで、全米プロ空手ミドル級1位のマーク・コステロ(米国)と対戦。2分6R、日本のキックボクシングと全米プロ空手をミックスしたルールで行われ、佐山はコステロの強烈な打撃にさらされて判定負けを喫した。
 当時の本紙は「回を追うごとに佐山の劣勢は明らか。最終回、計3回のダウン。KO負けだけは免れたものの、レスラー佐山の完敗だった」としている。

 よく、この敗戦で佐山はキックに目覚めたといわれるが、そうではない。もともと強さの追求、技術の習得に人一倍貪欲で、ひそかにキックの練習をしていたことが周囲に知られ、この一戦に抜てきされたのだ。

 この後、メキシコを経て英国に渡り、81年4月に帰国するとタイガーマスクに変身。空前の新日プロブームの立役者となる。ところが、83年8月に突如引退を宣言。「タイガージム」を設立し、新たな格闘技の形を模索していく。

 コステロ戦での惨敗は、その後の活動に向けて大きなターニングポイントになったはずだ。(敬称略)