「100年早いよ、バカ!」タッキー、たけし…今では考えられないプロレス界の〝拒絶反応〟

2021年06月27日 10時00分

挑戦状を持参したTPGのダンカン、タカ(右から)を一喝する山本小鉄審判部長(87年10月、新日プロ事務所)
挑戦状を持参したTPGのダンカン、タカ(右から)を一喝する山本小鉄審判部長(87年10月、新日プロ事務所)

【プロレス蔵出し写真館】引退していたアントニオ猪木がアイドルタレントとエキシビションマッチを行ったことに、前田日明は怒気をはらめて、こう言い放った。

「涙が出るほど悔しかったよ」

 その試合が行われたのは、今から21年前の2000年(平成12年)3月11日、横浜アリーナで開催された「第2回メモリアル力道山」興行。猪木がジャニーズのアイドルタレント、タッキーこと滝沢秀明(現在ジャニーズ帝国の副社長)と対戦した。滝沢は大のプロレスファンとして有名だった。レフェリーは、猪木を酸いも甘いも知り尽くした藤原喜明が務めた。

 メモリアル力道山とは縁遠い、明らかにタッキーだけを見に来た大勢の女性ファンがかたずをのんで見守る中、ゴング前に猪木が滝沢にいきなり張り手一発。滝沢ファンから悲鳴が上がり、館内は異常な興奮状態に包まれた。

 試合が始まり、猪木はスライディングしてのアリキックから滝沢を倒して馬乗りになり、なんとパンチ攻撃。これは藤原がストップをかけたが、会場のボルテージは最高潮だ。そうこうしているうちに、藤原が猪木を羽交い締めにし、滝沢が猪木のTシャツを破ると、猪木は自ら脱ぎ捨て、上半身裸に。

 猪木は手四つの体勢から滝沢にリバーススープレックス。藤原がアシストして猪木を横転させると、滝沢は猪木の上に乗りパンチ攻撃。それをヘッドシザースで切り返す猪木。よどみない流れだ。

 スタンドになると、滝沢がローキック攻撃。倒れた猪木にすかさずエルボードロップを決め、カバーすると藤原がカウント3を数え、滝沢が3分57秒、体固めで勝利した。館内は割れんばかりの大歓声。

 この日、最も盛り上がったのは間違いなく猪木VS滝沢のエキシビションマッチだったが、前田が思いを吐露したように芸能人がプロレスに絡んでくることに、まだまだ関係者にはアレルギー反応があった。

 昭和の時代はさらに顕著で、その最たる出来事は、新日本プロレスに挑戦を表明したビートたけしのTPG(たけしプロレス軍団)だろう。

 今から34年前の1987年(昭和62年)10月9日、新日プロの事務所にガダルカナル・タカとダンカンがTPGの挑戦状を持参。すると激高した山本小鉄審判部長に「100年早いよ、バカ!」と一喝された。 
 
 年末の12月27日、東京・両国国技館で、暴動事件が発生しTPGは自然消滅した。

 そのTPGについて、興味深いやり取りがあったのは大阪プロレスの2008年3月9日、新宿FACE大会だった。スペル・デルフィン、えべっさんとの3WAYマッチを終えた松山勘十郎が、子供連れで観戦に来ていたたけし軍団のダンカンを発見し、質問を浴びせた。
 
「たけしプロレス軍団ってなんだったんだ?」

 唐突に質問されたダンカンはイスから立ち上がり「すっかり忘れちゃったんだよね」と言いつつ、その当時のエピソードを小ネタをはさみながら、いくつか披露した。

 そして「東スポに騙されたんだよね。」ダンカンはそう言って話を終えたが、芸能人を絡めるという猪木の発想自体、時代を先取りし過ぎたということだろう。

 TPGの誕生は、当時東スポの編集局長だった桜井康雄が猪木とたけしを極秘に会わせて話がまとまった。「TPGのTはたけしと東スポのTなんだよ」。生前に桜井局長はそう語っていたっけ。

 現在、アイドルタレントが蝶野正洋に張り手をお見舞いする時代。オールドファンは驚愕だ(敬称略)。

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