【鈴木ひろ子の「レスラー妻放浪記 明るい未来」3】世界最大のプロレス団体「WWE」で活躍したKENSO(ケンゾー=46)&鈴木ひろ子氏(46)夫妻による連載「レスラー妻放浪記 明るい未来」。第3回は伝説の「猪木問答」を振り返る。舞台は2002年2月1日の新日本プロレス札幌大会。会長のアントニオ猪木氏を、蝶野正洋を中心にケンゾー、棚橋弘至、中西学、永田裕志らが取り囲み、マイクパフォーマンスを繰り広げたのだ。いまだに新日プロの黒歴史として伝わる“笑劇”の舞台裏が今、明かされる――。 

 ケンゾーが新日本プロレスのレスラーとして活動していた時間は決して長くはありませんが、中でも印象に残る出来事の一つが北海道巡業での猪木問答です。

「明るい未来が見えません!」

 これが、ケンゾーが猪木会長に放ったひと言です。業界関係者の皆さんとお会いすると、今でもこのひと言が時々話題に上がります。が、実際にはタイミングで放ったひと言でした。

 当時プロレス業界は、格闘技ブームの大きなあおりを受けていたころです。後に私たち夫婦がアメリカに渡り、知った事実ですが、WWEのビンス(マクマホン)会長は格闘技と一線を引くことで、プロレスのプライオリティーを守っていました。この格闘技ブームは日本だけの話ではなく、世界一のプロレス団体であるWWEにもその波が来ていました。

 だけど、大人気の格闘家がWWEに入団を希望しても一切入れない。そういう徹底的な運営姿勢があったわけですが、一方の日本のプロレス界は完全に格闘技のあおりを受けていきます。さらには主軸の武藤(敬司)選手や小島(聡)選手の全日本プロレスへの移籍も重なり、新日本プロレス内には常に落ち着かない空気が流れていました。

 そんな中、北海道巡業の試合直前に、蝶野選手から若手選手に打診がありました。その日の試合でマイク(パフォーマンス)をするというもので、どうやら会場に猪木会長が来るらしく、リング上で猪木会長に訴えようという流れでした。

 プロレスではよくあることですが、マイクで話せと言われても事前に細かい打ち合わせはなく、むしろ打ち合わせをしたところでその通りに話す人もいない。とにかくリングに上がればマイクが回ってくるんだろうという具合で、デビューしたての新人だったケンゾーや棚橋選手も同様にリングに上がることになりました。

 そうしていざ試合が始まり、その時が来ると、蝶野選手がリング上で猪木会長に迫力あるマイクで訴えます。両者とも一歩も引かないマイク合戦が続き、蝶野選手が所属選手を呼び込みました。永田選手や中西選手、そしてタナ、ケンゾーと選手がリングに集結していきます。いわゆる「猪木問答」の始まりです。

 先輩方が迫力のあるコメントを次々と繰り出しますが、猪木会長はそれを見事にいなしていきました。天性のエンターテイナーは簡単には相手の土俵に上がらない。主役は主役、自分の土俵に引き込んでいく。一方の選手陣営も「力技」で何とか主導権を取ろうと食らいつく。当初の計算上、本来ならそれは緊張感漂うシリアスな場面です。ところが食らいつくのにいなされるという、かみ合わないやりとりのうちに、会場で笑いが出始める。

「まじか…」

 何を言えばいいのか分からなかったというのが本人の後日談。新人のケンゾーは自分の番が回ってくるのをどうすりゃいいんだと困惑していたわけです。するとリングに上がっ
たケンゾーに、蝶野選手がサッと近づきました。

「ケンゾー…」

「はいっ!?」

 反応するケンゾーに蝶野選手はこそっと耳打ちしました。

「おもしろいこと言え」

 完全なむちゃぶりです。確かに会場の声援はもはや笑いと化している。とはいえ考える時間はない。その直後に回ってきたマイクで、かみまくりながらも言い切ったのがあの一言でした。

「ぼくぁは、じぶんのあくぁるい未来が見えませんっ!」

 かみまくるケンゾーに猪木会長は一瞬黙り、あっさりいなしました。

「見つけろテメェで」

 いいのか悪いのかも分からない。続いて同期の棚橋選手がマイクを握る。棚橋選手も実にタナらしい整ったコメントをするものの、やっぱり見事にいなされる。結局猪木会長が空気を支配していく中で、蝶野選手がケンゾーに近づきコソっとひと言。

「ナイスコメント(ハート)」

 あれが何だったのか、本人は今でも実感できていませんが、それでもあの時のやりとりを振り返ると、猪木会長の言葉には納得できる節が多分にあるから不思議です。どんな局面でも相手にのまれずに自分の世界に引っ張り込む。猪木会長に、蝶野選手とスター選手のマイクパフォーマンスに、「プロレスラーってすげぇな」と新人ケンゾーが明るい未来を感じた経験だったのです。

 ☆すずき・ひろこ 1975年2月14日生まれ。千葉・船橋市出身。明大卒業後に福島中央テレビにアナウンサーとして入社。2003年にケンゾーと結婚し翌年に渡米。WWE入りした夫とともに、自身は日本人初のディーバ「ゲイシャガール」として大活躍。ハッスルやメキシコマットでも暴れ回った。現在は政界に転身し、千葉県議会議員を務める。一児の母。

 ☆ケンゾー 本名・鈴木健三。1974年7月25日生まれ。愛知・碧南市出身。明大ラグビー部を経て一度は就職するが、99年に新日本プロレス入り。2002年2月にアントニオ猪木から当時混乱していた新日本の現状を問われてリング上で「僕には自分の明るい未来が見えません」と発言したのは語り草だ。その後は米WWE、ハッスル、全日本プロレスなどで活躍。現在は共同テレビジョン勤務。191センチ、118キロ。