【プロレス絶滅危惧種】1950年代から日本マットで暴虐の限りを尽くした“元ナチス”レスラー 

2021年04月15日 10時00分

【写真上】左から、ナチス式敬礼を決めるクラップ、ショッツ(左)【写真下】隠れた実力者だったラシク

「アメリカ人に復讐してやる!」――。かつてプロレス界には「ナチスの生き残り」という触れ込みで大暴れしたレスラーがたくさんいた。

 こうしたレスラーが増殖したのは、戦後間もない1950年代。シュミット流バックブリーカーの元祖で日本では“地獄の料理人”の異名を取ったハンス・シュミット、“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリック、その弟を名乗った“冷血鬼”ワルドー・フォン・エリックらがファンの憎悪をあおりながら暴れ回った。

“元ナチス”は日本が戦後、米国と手を結んだことが気に入らなかったのか続々と来日する。かつての同盟国のマットで暴虐の限りを尽くすレスラーもいた。

 73年、崩壊直前の日本プロレスに姿を現したのはキラー・カール・クラップだ。オランダ出身で71年12月に晴れて“元ナチス”の仲間入り。クロー技を得意としたのは、フリッツ・フォン・エリックのアイアン・クローにあやかったもので、鉄の爪に対してこちらは“青銅の爪”と呼ばれた。

 74年には新日本プロレス「第1回ワールドリーグ戦」に参加し、リーグ戦と決勝リーグ戦の2度にわたってアントニオ猪木から3カウントを奪っている。決勝戦では猪木に敗れたが、十分に日本マットに爪痕を残したといえるだろう。

 第1回ワールドリーグ戦に続く「ゴールデン・ファイト・シリーズ」には、“ナチの亡霊”クルト・フォン・ヘスと“ナチの戦犯”カール・フォン・ショッツのタッグチーム「戦犯コンビ」が参戦した。

 シリーズ開幕戦(5月24日=東京・足立区体育館)で猪木、星野勘太郎組と45分3本勝負で激突。狂乱のファイトで日本組を圧倒すると、ショッツが1本目は星野から、2本目は猪木からいずれも3カウントを奪い、ファンを驚かせた。どうも猪木はナチスと相性が悪い。

“ナチの妖獣”バロン・フォン・ラシクも忘れられない。70年代前半は国際プロレス、中盤以降は全日本プロレスに参戦。クラップ同様にクロー技を得意としたが、実は64年の東京五輪レスリング米国代表(ケガの影響で辞退)に選ばれるほどの実力者だ。国際マットではモンスター・ロシモフ(後のアンドレ・ザ・ジャイアント)をグラウンドで翻弄するなど、持ち前のテクニックで目の肥えたファンをうならせた。

 今年で戦後76年。さすがに元ナチスという触れ込みでリングに上がるのは無理がある。もう見ることはできないレスラーたちだ。(敬称略)

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